2024年 4月 18日 (木)

楽譜と校訂者と国境閉鎖と(後編)

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   作曲家が完成させた「手稿譜」と、出版社から印刷譜として発行される楽譜の間には「校訂者」という存在がいます。ピアノ作品ならば、校訂者は、作曲家が書き込まなかった指使いを指示したり、ペダルの踏み方を補ったり、また手稿譜が複数ある場合は、「どの楽譜が一番作曲家の意図に忠実なのか?」を解釈したり、とその役割は少なくありません。

   そのため、ピアノの演奏を熟知しているピアニストである場合が多いのですが、ショパンのピアノ作品の楽譜の中で、フランスのデュラン社から発行されているものは、フランスを代表する作曲家として知られているクロード・ドビュッシーが校訂した、となっているのです。これは少し異例なことなのです。なぜなのでしょうか?

  • ドビュッシーが校訂した、デュラン社発行のショパンのピアノ・ソナタの旧版の楽譜。紙の質もあまり優れず、戦争の非常時を感じさせるようなザラザラとした手触りだ
    ドビュッシーが校訂した、デュラン社発行のショパンのピアノ・ソナタの旧版の楽譜。紙の質もあまり優れず、戦争の非常時を感じさせるようなザラザラとした手触りだ
  • ドビュッシーが校訂した、デュラン社発行のショパンのピアノ・ソナタの旧版の楽譜。紙の質もあまり優れず、戦争の非常時を感じさせるようなザラザラとした手触りだ
    ドビュッシーが校訂した、デュラン社発行のショパンのピアノ・ソナタの旧版の楽譜。紙の質もあまり優れず、戦争の非常時を感じさせるようなザラザラとした手触りだ
  • ドビュッシーが校訂した、デュラン社発行のショパンのピアノ・ソナタの旧版の楽譜。紙の質もあまり優れず、戦争の非常時を感じさせるようなザラザラとした手触りだ
  • ドビュッシーが校訂した、デュラン社発行のショパンのピアノ・ソナタの旧版の楽譜。紙の質もあまり優れず、戦争の非常時を感じさせるようなザラザラとした手触りだ

第一次世界大戦が影響していた

   確かに、ドビュッシーはピアニストでもあり、作曲家だけでは生活が苦しいので、ピアニストとしてステージに立ち、自作を含めた演奏を行なっていたのは真実ですが、それにしても、レアケースです。「デュラン版のショパンは校訂がドビュッシー」という事実を知らずに、現地フランスでこの楽譜を見つけた時には私も驚きました。1990年代に手に取ったその楽譜は他国のものに比べて紙質が悪く、すぐにボロボロになりそうでしたが、買い求めました。指遣いなどは、それまで見慣れていた版に比べて、確かに独特で、「ピアニスト・作曲家」ドビュッシーの独自の視点が感じられました。

   そして、同じデュラン社から出ているシューマンの作品は、作曲家ガブリエル・フォーレ の校訂、メンデルスゾーンの作品は、モーリス・ラヴェルがそれぞれ全て校訂しているのです。確かに三人とも、オルガニスト、ピアニストとしての活動もしていましたが、彼らだって、自作のピアノ曲は、自作自演でなく、他のプロのピアニストに頻繁に任せているのです。果たして彼らは「ロマン派のピアノ作品を校訂する」適任だったのでしょうか? どうみても、「大作曲家がさらに過去の大作曲家の楽譜を校訂する」というのは、少し異色です。

   これには、こういう事情がありました。これらの楽譜の出版が着手されたのは1915年でした。前年の1914年から、欧州にとって初めての大戦争、第一次世界大戦が始まっていたのです。

本田聖嗣プロフィール
私立麻布中学・高校卒業後、東京藝術大学器楽科ピアノ専攻を卒業。在学中にパリ国立高等音楽院ピアノ科に合格、ピアノ科・室内楽科の両方でピルミエ・ プリを受賞して卒業し、フランス高等音楽家資格を取得。仏・伊などの数々の国際ピアノコンクールにおいて幾多の賞を受賞し、フランス及び東京を中心にソロ・室内楽の両面で活動を開始する。オクタヴィアレコードより発売した2枚目CDは「レコード芸術」誌にて準特選盤を獲得。演奏活動以外でも、ドラ マ・映画などの音楽の作曲・演奏を担当したり、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」や、インターネットクラシックラジオ「OTTAVA」のプレゼンターを務めるほか、テレビにも多数出演している。日本演奏連盟会員。

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