2022年 8月 12日 (金)

週刊朝日100年 下重暁子さんは「鬼」との講演旅行を懐かしむ

モータースポーツの世界観を表現した『ECB-2000』

古き良き時代

   週刊朝日の創刊は1922(大正11)年の2月25日。当初は月3回発行で誌名も「旬刊朝日」だった。雑誌事業は「文化の大衆化という社会的背景をにらんだもの」(朝日新聞社史)で、創刊号の購読申し込みは35万部に達した。しかし直後に「サンデー毎日」が週刊で創刊されたため、朝日もただちに週刊に切り換えることになる。出し抜いた毎日、すぐに追いつく朝日の双方に、往時の先端ビジネスらしいバイタリティを感じる。

   戦後の週刊誌ブームをリードした扇谷は、読者層を〈旧制高女二年程度の読み書き能力に、プラス人生経験十年、夫の月収二万五千円、こども二人ぐらい〉と具体的にイメージし、ニュース本位の大衆誌に育てる方針を明確にしている(社史)。新聞の敏速な第一報を受け、より深く事件を掘り下げ、主題をひとひねりして読みやすい文章で読者に提供しようというわけだ。

   戦後復興が軌道に乗り、テレビ時代の直前にぽっかり空いた窓のような約10年。週刊誌が伸びる環境は整っていた。空前の154万部を発行したのは1958年の新年号である。

   下重さんがコラムで触れた扇谷は、「鬼」編集長のイメージからはほど遠い。50代後半になっていたはずだが、もはや毎週の売れ行きに気をもむこともなく、組織からも離れた自由の身。妙齢の女性を前にコワモテになる理由はない。

   雑誌の世界はいま、出口が見えない厳冬の只中にある。週刊朝日の発行部数は約10万部、実売はさらに少ない。150万部を記録したのは、ネットもスマホもない紙媒体の黄金期のこと。大手メディアには絶大な権威があり、成長期の社会は事件や事故や醜聞にあふれ、知識欲の高い国民は活字情報を求めていた。扇谷はそんな好機を生かし切った。

   記念号の編集長後記で、現職の渡部薫さんはこう書いている。

〈たかが100年が過ぎただけ。週刊朝日は「いま」を刻みながら、走り続けます〉

   天国の大先輩はこう付け加えるかもしれない...〈辛けりゃ辛いなりに〉

冨永 格

冨永格(とみなが・ただし)
コラムニスト。1956年、静岡生まれ。朝日新聞で経済部デスク、ブリュッセル支局長、パリ支局長などを歴任、2007年から6年間「天声人語」を担当した。欧州駐在の特別編集委員を経て退職。朝日カルチャーセンター「文章教室」の監修講師を務める。趣味は料理と街歩き、スポーツカーの運転。6速MTのやんちゃロータス乗り。
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