2024年 4月 26日 (金)

ばえる名前 久野映さんは新語大賞と向き合う宿命にあった

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   サンデー毎日(1月15-22日号)の「校閲至極」で、毎日新聞の久野映(はゆ)さんが、SNS時代に定着した「映える」という動詞を自らの名前に重ねて論じている。

   新聞社に入った2019年春、どきどきしながら配属先の校閲センターに向かうと、新人名簿を手にした先輩たちが 開口一番、聞いてきたそうだ。〈バエちゃん?〉

「心の中で思った。『やっぱりそうきたか!』...数え切れないほど『ハエちゃん』『エイちゃん』と間違われてきたが、『バエ』という読み方をされたのは初めてだった」

   しかし、そう呼ばれるのは時間の問題でもあった。筆者は続ける。

「当時はちょうど、『インスタ映え』から『ばえ』の読みが独立して動詞化した『映(ば)える』という言葉の流行が話題になり、18年末には三省堂の『今年の新語』大賞に選ばれていた」

   言葉に向かうアンテナも感度も高い先輩たちが、新入社員への親しみを込めて「バエちゃん?」と聞かないはずがない。むしろそう呼ばないほうが不自然というものだ。

   それから4年。久野さんによると、「ばえる」は21年末発売の三省堂国語辞典(第8版)で見出し語となるまでに「大出世」した。

「江戸時代の国学者・本居宣長は『古代日本語には濁点で始まる言葉がほとんどない』という発見をしており、単独で『ばえる』と読むのは不自然だという声が根強かったにもかかわらず...ここまで定着した理由の一つに『使いやすさ』があったと思う」
  • 「映(ば)え」を意識してスマホで撮影するのは、今や当たり前か
    「映(ば)え」を意識してスマホで撮影するのは、今や当たり前か
  • 「映(ば)え」を意識してスマホで撮影するのは、今や当たり前か

俗なニュアンスを

   使い勝手が良い?久野さんはこう見る。例えば「青空に映える雪山」は従来読みがしっくりくるが、インスタのスイーツ写真などに使うのは仰々しい。

「濁った読み方をして俗なニュアンスを含ませた『ばえる』の方が気軽に使いやすい、という感覚は理解できるように思う」

   他方、実質より見た目を追い求める「映え文化」には戸惑いや疑問の声もある。実際、久野さんの母君は〈美しい言葉だと思って名付けたのに、最近は簡単に「ばえる、ばえる」って〉とぼやいているそうだ。ご自身は「ばえる」が持つ「気軽にみんなにシェアしたい美しさ」という親しみやすさも「けっこう好き」とのことである。

「昔からある言葉が突然脚光を浴び、形を変えながら大量に消費され、印象も変わっていく━━そんな様子を目の当たりにしたようで、改めて言葉は生ものなのだと感じた」

   ある先輩と日本語問答をしている時に言われたそうだ。〈時代の空気をまとった言葉は、その時代に青春を送った人の手でしか捉えられない〉と。

「昔流行した音楽をふと耳にして当時の空気感や感情を鮮明に思い出すことがあるように、言葉も時代の空気を帯びることがある。10年、20年後にふと『ばえる』という言葉を見聞きしたら私はきっと、この職場に初めて足を踏み入れた時の、不安と期待が入り交じったあの気持ちを思い出すのだろう」

ウケとサービス精神

   「校閲至極」は毎日新聞の校閲陣が交代で執筆し、本作が第220回。校閲者としての目のつけどころが面白くて、楽しみにしている連載のひとつである。

   入社間もなく4年となる久野さんは、インターネットの世に生まれ、SNSと共に育ってきた世代である。学生時代は違和感なく、いや 名前との関わりを気にしながらも「ばえる」を日常的に使ってきたのだろう。

   私もSNSに上げる写真では「映え」を気にするほうだ。というより、ほかは考えていないかもしれない。あえて動機を分析すれば、ウケ狙いとサービス精神だろうか。

   風景、植物、料理、スイーツ、クルマ...どれもニュース写真はないから、慌てて撮ったり発信したりする必要はない。ならば見映えにこだわり、なるべく印象的な画像を共有しようじゃないか、というのが正直な心情である。

   SNS時代の そんな空気を象徴する「ばえる」について、久野さんは「濁った読み方をして俗なニュアンスを含ませた」「気軽にみんなにシェアしたい美しさ」といった表現でアプローチを試みる。濁点に注目したのは、さすが言葉のスペシャリストである。

   従来読みの「はえる」は、広辞苑によると〈光を映して美しく輝く/引き立つ/立派に見える〉といった意味合いだ。これに濁点がつくだけで、もう一段 美しさを「盛る」印象になる。後ろめたいほどではないが、ちょいと照れ臭い...若干の自虐をにじませて、久野さんのいう「俗なニュアンス」が醸し出されるのだ。

冨永 格

冨永格(とみなが・ただし)
コラムニスト。1956年、静岡生まれ。朝日新聞で経済部デスク、ブリュッセル支局長、パリ支局長などを歴任、2007年から6年間「天声人語」を担当した。欧州駐在の特別編集委員を経て退職。朝日カルチャーセンター「文章教室」の監修講師を務める。趣味は料理と街歩き、スポーツカーの運転。6速MTのやんちゃロータス乗り。
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