ありがたい普通 夏井いつきさんを入院先で救った夫の優しさ

   女性セブン(2月9日号)の「パパイアから人生」で、松山市在住の俳人でエッセイストの夏井いつきさんが、緊急入院の顛末を明かしている。

「人生というのは、実に何が起こるか分からない。『一寸先は闇』だとか『明日は我が身』だとか、昔の人は巧いことを言うものだなどと、悠長に感心している場合ではないのだ」

   いったい何が起きたのか。65歳の夏井さんはその日、いつもの時間に起床し、洗濯をしながら原稿を書き、夫と二人で昼食を済ませ、お茶を飲みながら朝ドラ『舞いあがれ!』の再放送を観る...という日常をなぞっていた。体調に異変を覚えたのは朝ドラの後、食器を洗い終わった頃だという。

「顔の中心部分がなんだか熱い感じがする。身体がぼんやり重いような気もする。お腹いっぱいで眠くなったのかもと、『三十分ほど昼寝する』と言って、ベッドに横になった。が、お昼寝どころか、何やら息がしにくい...息を吸うのに力が必要なのだ」

   腹痛も始まり、呼吸はどんどん苦しくなる。全身が熱っぽく、手首あたりまで蕁麻疹のような腫れが広がり、両手の指と爪はロウのように真っ白だ。慌てた夏井さんは夫に助けを求め、かかりつけ医に駆け込んだ。

「いつもはガハガハ笑うばかりのイチカワ先生が、急にマジな顔して『アナフィラキシーやが!』と叫び、そこから慌ただしい応急処置が始まった」
  • 気づけば病院でいろいろな装置を付けられて
    気づけば病院でいろいろな装置を付けられて
  • 気づけば病院でいろいろな装置を付けられて

救急車で搬送

   筆者は日赤病院に転送され、そこで何人もの医師に〈適切な応急処置をして下さった先生にお礼を言いなさい〉と言われたそうだ。一緒に救急車に乗ってくれたはずの夫とは一度も会えないまま、万一の急変に備えて一泊の入院となった。

   アナフィラキシーとは、食物や薬物のアレルギー、蜂に刺されたことなどが原因で起こる全身症状で、血圧低下や意識障害で危険な容体になることもある。

   床上の夏井さんは点滴の管やら、全身状態をモニターする装置やらを付けられ、身動きが難しい。消灯時間を過ぎ、日付が変わってもなかなか寝つけない。

「が、ゲンキンなもので、息が吸えるようになり、どうも死なないらしいと分かると、明日のことが気になり始める。書きかけの原稿...〆切日だったのに角川さんごめんね。明日のファン感謝イベント、NHKさんどうしよう...」

   夏井さんはここで、消灯前、点滴を交換する看護師が何か言いながら紙を置いていったことを思い出す。それを見つけ ベッドサイドの暗い灯りに近づけると、見慣れた夫の筆跡だった。角川の〆切を延ばしてもらったこと、NHKのイベントは息子(俳人の家藤正人さん=冨永注)を助っ人にすべく手配したことなどが「ゆったりとした優しい字」で記されていた。

「体の力が抜けるようにホッとする。大きく息を吸う...息が吸えるってこういうことなんだと思う...何もかもが有難い。ゆっくりと眠気が広がり始める。『ゆっくり休みなさい』と結ばれている手紙が、ほんのりと灯るように枕元にある」

冨永格(とみなが・ただし)
コラムニスト。1956年、静岡生まれ。朝日新聞で経済部デスク、ブリュッセル支局長、パリ支局長などを歴任、2007年から6年間「天声人語」を担当した。欧州駐在の特別編集委員を経て退職。朝日カルチャーセンター「文章教室」の監修講師を務める。趣味は料理と街歩き、スポーツカーの運転。6速MTのやんちゃロータス乗り。

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