週刊文春(2月16日号)の「いまなんつった?」で、脚本家の宮藤官九郎さんが娘さんとの会話を通して「地方vs東京」問題を論じている。「東京で生まれ育ち、もうすっかり女子高生に仕上がった娘を見ていると、時々叫びたくなる」...どんな叫びかといえば「分かってんのか?」だという。たとえば、娘が〈マックで宿題やって帰りま~す〉と言う。「おい、分かってんのか?物心ついた時から最寄り駅にマクドナルドが2つもあるって、当たり前じゃないんだぞ。お父さん、初めてマックのポテト食べたの、15歳の時だぞ」ちなみに宮藤さんは宮城県北部、現在の栗原市で生まれ育った。マックの味を知った日のことは鮮烈に覚えているそうだ。それは、姉が〈仙台のおみやげ~〉と渡してくれたものだった。「赤い紙の容器の底に、しんなりと曲がりくねった冷たいポテト。どう考えても食べ残しだった。電子レンジなんかなかったから、そのまま口へ放り込み噛みしめた。都会の風が吹いた。CMでしか見たことなかったマックのポテト。歯クソになるまで余韻を楽しんだ」娘を仮想の相手役にクドカンさんのモノローグは続く。「ミスタードーナツのオールドファッション食ったのなんか高校生だぞ。衝撃だった。チョコのかかったヤツ。全然オールドじゃなかった。仏壇にお供えするほど美味かった」「近所にセブン-イレブン出来たの、上京(大学入学時=冨永注)した後だぞ。間に合わなかった。母ちゃんが不憫に思ってブリトー(具材を春巻きのように包んだ軽食=冨永注)送って来た。東京でも売ってるって!」死語になる「田舎者」「地方出身者、しかも平成元年上京組の僕にとって、18歳は人生のターニングポイントでした。進路なんか後回し。とにかく駅前にマックのある街に住んで冷めてないポテトを食べるんだ。具体的な夢はそれしかなかった」18歳からが強烈すぎて、それ以前の記憶は「ダビングし過ぎたVHS並みに解像度が低い」という。都会で育った娘には、そんな「断裂」や「転機」はなさそうだ。「ずっと地続き。大人の階段の段差はゼロ。大人のスロープをスルスル上っている。記憶は最初からカラフルで、ブルーレイ並みに鮮明なんだろうな」宮藤さんの娘さん、親元から離れて独り暮らしを始めるつもりは全くないらしい。関西への進学という選択肢を示しても〈やだよー、友達に会えないじゃん〉。宮藤さんは思う。そもそもネット社会では、上京する理由さえ薄くなるのではないか。「東京でしか手に入らないものも、東京じゃなきゃ叶わない夢も絶滅するだろう。『田舎者』はもはや死語だし、地方出身者のコンプレックスも無い。いい時代じゃないか」宮藤さんは18歳で「土着的な人間関係の呪縛」を解かれ、突然スキンヘッドにしたり、小劇場にハマって大学(日大芸術学部)を中退したりした。「実家暮らしだったら近所で噂になってたけど、誰にも迷惑かけずに済んだもんな。やっぱり18歳って、トチ狂う年頃だと思う」そこで筆者はもうひと押しとばかり、娘に聞いたらしい。「留学でもしてみる?」〈お父さん、なんで追い出そうとするの!〉「東京+独居」の衝撃私も地方出身で、やはり進学時の上京で親元を離れることになった。宮藤さんより14年早い1975年のこと。マクドナルドの日本初出店(銀座三越1階)から4年、セブンイレブンの1号店(江東区豊洲)が開業した翌年である。単独でも強敵の「東京」と「独居」が一緒に攻めてきた18歳の春。それは紛れもなくターニングポイント、というより「おれの人生」の起点だった。生まれた時からずっと東京で暮らしていれば、筆者が書くように人生は地続き、段差のないシームレス状態となる。「記憶は最初からカラフルで、ブルーレイ並みに鮮明だろう」との表現に思ったのは、新宿区で生まれ中学から慶應義塾に進んだ泉麻人さんの「回顧もの」だ。多感な少年時代に「ナマ東京」を経験しないと、あれは書けない。半面、上京に伴う衝撃体験は地方出身者の特権である。泉さんにも「初の銀座」などを書いた作品はあるが、青春ど真ん中で飛び込むメガロポリスは格別である。宮藤さんは、それができない娘を気の毒に思っている風でもある。せめて独り暮らしだけでも経験してみたら?と水を向けてもあえなく拒否される。一連のやりとり、どこまでが事実でどこからが創作なのか判然としない。そこは売れっ子の脚本家、虚実ない混ぜの世界で真に迫っていく手法はお手の物だ。父親としては案外、なかなか離れようとしない娘にご満悦なのかもしれない。ネットやSNSの全盛で社会の均質化が進み、確かに出身地による文化格差のようなものは消えつつある。それが「いい時代」なのか、断言する自信はない。冨永格
記事に戻る