ジュンスカ、珍しいバンドカバーアルバム
デビュー30周年の成熟のあかし

   タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」

   この十年間でどのくらいの数のカバーアルバムが出ただろう。一人のアーティストや作家をテーマにしたもの、時代を超えた名曲を集めたもの、自分の曲を改めて歌いなおしたもの。その種類はもはや飽和状態なのではないかと思えるほどに珍しくなくなっている。

   ただ、意外なほど少ないのがバンドの曲をカバーしたものだろう。はっぴいえんどやキャロル、BOO/WY、ブルーハーツなど歴史を変えたバンドのトリビュートアルバムという形はあっても正面切ってバンドの曲を取り上げたカバーアルバムはそんなに多くない。

   先日発売されたJUN SKY WALKER(S)、通称ジュンスカの初のカバーアルバム「BADAS(S)」(バッダス)は、バンドの曲を軸に一つの時代を切り取った好アルバムとなっている。


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石橋凌にマイクの持ち方を説教

   ジュンスカは、自由学園の生徒だった宮田和弥(V)、森純太(G)、小林雅之(D)、伊藤毅(B)が1980年に結成したバンド。彼らは中学生だった。代々木の歩行者天国で人気になり88年にメジャーデビューした。その直前にメンバーの脱退があり新たに加わったのがスタッフとして協力していた寺岡呼人(B)だった。デビューした翌年には史上最速の武道館公演を成功させ、グリーンスタジアム神戸、西武球場などの球場コンサートも行い一気に上り詰めて行った。97年に一旦は解散、2007年に再結成されて、以降に4枚のオリジナルアルバムを発売、デビュー30周年に合わせて発売されたのが初のカバーアルバム「BADAS(S)」である。

   このコラムでも何度か触れているように、80年代はロックが10代の音楽として広まっていった時代でもある。それまでの長髪反体制というアンダーグラウンドだったロックが学校や家庭に反発したり馴染めない中高生たちの青春の支えになっていった。アルバムに選ばれているのはRCサクセション、ブルーハーツ、BOO/WY、ARB、ザ・モッズ、ルースターズなど、そんな時代の立役者だったバンドと、スピッツ、モンゴル800、Mr.Childrenら、当時を受け継いでいる次の世代のバンドの曲が並ぶ。

   どれも彼らが影響を受けたり憧れたり、実際に関係のあったバンドばかり。特設サイトにはそれぞれの曲にまつわるエピソードが紹介されている。

   例えばARBの「魂こがして」のところには宮田和弥と小林雅之が高校時代に新宿ロフトでのARBのライブの打ち上げに参加した、と書かれている。宮田和弥は、筆者が担当しているラジオ番組FM NACK5の「J-POP TALKIN'」のインタビューで、その席でARBのヴォーカル・石橋凌にマイクの持ち方を説教、同時に彼が歌っていた曲に出てくる外国たばこをねだったという話をしていた。やはりアルバムで選ばれているザ・モッズの「ごきげんRADIO」は、彼が初めて買ったアルバムの中の曲で、その中には「しっかり勉強しなくては立派な大人になれません」という先生の言葉も出てくる。80年代は、やんちゃな若者たちが音楽を謳歌する時代でもあった。

不良が不良として表現できた

   そんなエピソードの中には歩行者天国にまつわるものもある。スピッツの「楓」には、デビュー前の草野マサムネが歩行者天国に「これ聞いてください」とデモテープを持ってきた、と書かれている。当時の「ホコ天」で最初に人気になったのが彼らだった。

   彼らがデビューした時、何よりも新鮮だったのはライブが自由だったことだろう。ライブハウスなどの屋根のある空間で演奏してきたバンドにはない伸びやかさ。天井や壁を感じさせない「路上発」を旗印にした最初のバンドだった。宮田和弥は、彼らを追うようにホコ天で人気になったTHE BOOMについて「ヴォーカルが人垣を超えるくらいにジャンプするんで見に行ったらトランポリンを使っていた」と笑った。「ホコ天」はそういう自由さに溢れた場所でもあった。

   バンドがカバーしたバンドのアルバムが多くない理由は簡単だ。歌が良ければいいというわけではない。ソロ歌手が名曲を熱唱するのとは訳が違う。そのバンド自体の味がないと表現しきれない。「BADAS(S)」は、彼らがバンドとして成熟したからこそのアルバムだろう。パンク系ビートバンドからスピッツ、学園祭のオープニングを務めたミスチルのようなメロディアスなポップロックバンド。80年代から90年代にかけてのバンドの二つの傾向を自分たちのバンドの音として昇華している。

   その最たるものが収録曲中唯一のソロアーティスト、松任谷由実の「Hello My Friend」だ。緩やかに漂うような品のあるメロディーをビートを生かしたバンドのアレンジに変えている。宮田和弥は「デビューした頃からリーダーの森純太は、ジュンスカはユーミンのメロディーをニューヨークのパンクバンド、ラモーンズのサウンドで表現したバンドと例えてたんです」と言った。当時、硬派なパンクバンド達の中で、なぜ彼らが都会の女子中高生に爆発的な人気になったのか、改めて再認識させる曲になっている。

   それにしても、と思う。

   80年代から90年代にかけてのバンドがいかに伸び伸びとしていたのか。そして、彼らを育んだ「ホコ天」に象徴される東京の街がどんなに自由だったか。

   今、代々木だけでなく「路上ライブ禁止」を掲げる街の方が多い。宮田和弥は「日常性の中の不良魂の爆発みたいなものが当時のバンドだった」と言った。「不良魂」などという言葉自体が今、死語になりつつあるようにも思う。不良が不良として表現出来たのが80年代で、不良そのものが存在しえなくなっているのが今なのかもしれない。

   もう「ホコ天」は出現しないのだろうか。

   東京オリンピックを前にした東京が自由の街、になることはあるのだろうか。

(タケ)

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