「私 プロなんで」 中嶋朋子さんはタクシー運転手の言葉で幸せに

   クロワッサン(9月25日号)の「眠れる巨人」で、中嶋朋子さんがタクシー車内の出来事を面白く描いている。

   そこそこレベルの飲食店を家族で楽しんだ中嶋さん。店が呼んでくれた車は個人タクシーだった。接待にも使われる所だけに、タクシー会社間の競合を避ける意味からも、乗務歴の確かな個人運転手を使っているのだろう...彼女はそんな想像を膨らませる。なぜなら、個人タクシーは正直苦手だった。この随筆の重要ポイントである。

   中嶋さんによると、カード払いを受けつけてくれないとか、乗車を拒まれるといった経験は、たいてい個人タクシーの時だったという。

「まあ、フラットに考えれば、カード利用時にかかる手数料は負担せねばならないし、車両内はかなりプライベートな空間だもの、お客さんを選り好みするのも致し方ない。でもねぇ、こちらとしても嫌な気持ちになるのは避けられないわけで...」

   先の店の立地上、正面に車をつけると中嶋さんの帰り道とは自ずと反対方向になってしまう。これが第二のポイントになる。

「ちょっとした回り道、大して気にもかけず、そのまま乗り込んだ...車両が個人タクシーだったことに、ちょっと残念な気持ちになり、むしろ、そのことの方が道順のことより気になっていたぐらいだ」

   苦手な個人タクシー、そして方向違い...物語の始まりだ。

臨機応変の休憩や食事もプロの技=青山墓地わきのタクシー待機所で、冨永写す
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美しい力を秘めた一言

   乗車してそんなことも忘れた中嶋さん。美味しいご飯と店のもてなしの素晴らしさで、車内の家族は盛り上がった。盛り上がりを切り裂くように、起承転結の「転」が訪れる。運転手の突然の割り込み発言である。

〈私、道の選択を間違えました、お代は半分で結構です。失礼いたしました〉

   一瞬かたまる中嶋さんたち。何を言い出したのかすぐには理解できず、やや間があって家族全員「いやいやいやいや!」の合唱に。どうやら、より近い道筋で行かなかったことの謝罪らしいが、謝るほどのことではない。近道のほうはといえば、元から選択肢にない運転手もいるマイナーな道。距離の差も大してない。

   その運転手には言い訳じみたところはなく、揺るがない事実をキッパリ宣言するような、背筋の伸びた気持ちよさがあったという。中嶋さんは、反対方向と知ったうえで乗ったので気にしないでと常識的に応じるが、運転手も引かない。

   〈気持ち良くお食事をなさった、皆さんでの楽しい時間に、水を差すようなことはできません〉...そして決めゼリフの登場である。

〈お代は半分で結構です。私プロなんで、いただけません〉

   中嶋さんは思わず「格好いい~!」と声に出し、それを何度か繰り返した。

「私プロなんで」...「この一言に凝縮された格好良さは、人を幸せな気持ちにもし、その心の奥を奮い立たせる、美しい力を秘めていた...私たち家族の素敵な一夜は、この運転手さんによって、最高の演出で締めくくられたのだった」

身辺雑記の面白さ

   どんな人の日常も、小さな事件に満ちている。それを拡大鏡で観察し、拡声器を使うように発信したものがいわゆる身辺雑記である。うまく書けば面白い作品になるが、ひとつ間違うとつまらない日記を大声で聞かされている気分になる。

   さまざまな雑記の中で、タクシー運転手とのやりとりはひとつのジャンルと呼べるほど類例が多い。たいていは運転手の問わず語りを軸にした内容で、どこかに世相との交点(社会性)や意外性があれば、読み物として成立しうる。

   上記作の場合、些細な「ミス」で料金を半分にすると言い張る運転手のプロ根性がテーマである。個人タクシーに対する筆者のイメージは覆ったのではないか。読者はそう想像し、筆者と「幸せな気持ち」を分かち合える仕掛けだ。

   タクシー運転手は命を預かる重労働、参入障壁もそれほど高くはないため、人の入れ替わりが激しいとされる。営業地域の脇道、裏道にまで精通した本物のプロフェッショナルは、実はそれほど多くないのかもしれない。「私上京したばかりなんで、案内のほうよろしく頼みます」...そう言われたことも何度かある。カーナビと一緒に運転手をガイドしながら、料金を2割引きにしてほしいと思う。その意味で、中嶋さんはラッキーだった。身辺雑記はやはり、軽いテーマが理想だろう。

   そしてハッピーエンドが望ましい。

冨永 格

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