もっとも早く最先端の西洋音楽を耳にした日本人

   日本における西洋音楽の歴史は、明治維新後の文明開花から始まりました。江戸幕府が大政奉還により政権を返上したのは、慶応3年、1867年のことです。いまから154年前に過ぎません。その150年ちょっとで、当時の西洋音楽・・もちろんこの頃は現在「クラシック音楽」と言われるジャンルのものしかありませんでした・・・が日本に入ってきて定着したのです。

   それ以前の日本の伝統音楽は、いまや「純邦楽」と「純」をつけて呼ばれる始末です。「邦楽」と言ってしまうと、それはJ―POPなど、単なる「国内アーティストによる音楽」を刺してしまうので、もっとも古い日本の音楽なのに「純邦楽」と呼ばれてまるで「純喫茶」みたいだ!と憤慨している邦楽(伝統音楽の方)関係者を知っています。同時に彼は、「飛行機や鉄道など、日本のミュージックチャンネルに、クラシックは大抵あるのに邦楽がないことが多いのはどうしてだ!」とも憤慨しておりました。私は静かな音楽が多い邦楽は、乗り物内でのリスニングに向かないからではないか・・とも思いましたが、落語チャンネルはあるのに、長唄チャンネル、とか常磐津ミックス、とか確かに聞いたことも見たこともありません。

渋沢は西洋音楽の生演奏を日本人として初めて聴いた可能性がある一人である
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お雇い外国人などとともに西洋音楽

   わずか150年で「音楽」として定着したクラシック音楽、これはもちろん学校教育の成果でもあったりすると思いますが・・・それがためにクラシック嫌いになる人も多い、という点は置いといて・・・最初に西洋音楽に接したのは、誰だったのでしょうか?

   確かに、織田信長・豊臣秀吉の活躍した戦国時代に、欧州に渡った遣欧使節や、南蛮渡来人と呼ばれた人たちがヨーロッパの音楽を少しだけ、日本に持ち込みました。しかし、16?17世紀は西欧もまだルネッサンスの時代で、「音楽の父」バッハは、もう少し後、徳川吉宗の時代ぐらいです。しかし、江戸時代は厳しい鎖国の時代ですから、日本に大々的に西洋音楽が入ってくることはありませんでした。

   やはり、明治維新以降、お雇い外国人などとともに西洋音楽が入ってきたわけですが、年末に時代が明治になるまさにその年、慶応3年にいち早く、西洋音楽の生演奏を現地で聞いていたと思しき日本人たちがいます。慶応3年すなわち1867年は、パリで万国博覧会が開かれていた年であり、まだ江戸時代だった日本からは、最後の将軍徳川慶喜の弟、昭武を団長とした江戸幕府・薩摩藩・佐賀藩それに、江戸の町人・芸人たちまでも含まれた派遣団が出展者として参加しています。

   この時の「サムライ派遣団」は、パリの音楽家・芸術家たちにも激しく影響を与えたのですが、おそらく、彼らは、最初に「現地での生の音楽」に触れた人たちであったと思われます。

渋沢栄一も参加していた

   というのも、以前にもとりあげましたが、パリ万博での圧倒的な人気を誇った音楽的エッキスヒビジョン(展示)は・・・現代では「エキジビション」と表記されるこの言葉を使い始めたのも当時の外国奉行で使節団の事実上の代表だった栗本安芸守鋤雲だと言われています・・・オーストリア館のヨハン・シュトラウス2世が自ら指揮をするウィンナ・ワルツを演奏するオーケストラだったからです。

   「美しき青きドナウ」などを毎日指揮する忙しいワルツ王シュトラウスが、日本館を訪れた可能性は低いかもしれませんが、極東からやってきた日本の使節団が、物珍しさもあってパビリオンを巡ったことは容易に想像できますし、その時に一番人気のオーストリア館を訪ねた可能性もかなり高いのではないでしょうか。

   ちなみに、その派遣団の御勘定格陸軍付調役、すなわち会計係が、当時まだ幕臣だった渋沢篤太夫、のちの渋沢栄一です。令和3年大河ドラマの主人公にして、令和6年の新一万円札に肖像が載る予定の渋沢は、おそらく「日本人でもっとも早く西洋の生オーケストラを聴いた一人」でもあったのです。

本田聖嗣

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