鰻の記憶 松重豊さんは全てを忘れ、明日に向かうために食らう

   クロワッサン(7月10日号)の「たべるノヲト。」で、松重豊さんが鰻を語っている。芸能界では五指に入る書き手と注目していた筆者。「サンデー毎日」の月一連載(全25回)が終わって2年近く、さすがにマガジンハウスの有力誌が放っておかず、前号(6月25日号)から食にまつわる新連載が始まった。

「ウナギの大群にもみくちゃにされながら殺される男というのを演じたことがある」

   この冒頭からして衝撃的で、チラ見した読者を引き込むパワーがある。かといって誰にも真似できない、この筆者でなければ書けない体験談である。

「浜松の養鰻場で犯人役の僕がそこに落ちてウナギとともに果てるというシーンを狙ったのだが、繊細なウナギ達は大暴れせずに底で息を潜めていたため、実に地味な死に様になった。でもおかげでトラウマにならず今でもウナギは大好きだ」

   エッセイの教科書を地で行く書き出しから、松重さんは自身のウナギ遍歴につないでいく。まずは博多っ子である父親の口癖〈鰻は吉塚うなぎに限る〉からだ。

「その福岡の名店にはただの一度も連れて行ってもらったことはなかった。そりゃ鰻は贅沢品だが、実の子に食わせるのも惜しいとはいかがなものか」

   上京して明治大学で演劇を学んだ松重さんは、鰻へのこだわりを捨てない。「下北沢の野田岩」を、がんばった自分にご褒美を授ける時の店と決めた。天然物を誇示する〈肝に釣り針ご注意〉の文字にも引かれたそうだ。

全てを忘れる美味さ?=都内の専門店で、冨永写す
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チンするなど論外

   舞台の「ハムレット」に出演した時のことだ。格闘シーンのためのフェンシング指導、いわば殺陣師のような役割で稽古場に出入りしていた男性がいた。その人の本職がなんと鰻職人で、いちど食べにおいでと誘われた職場は「神田のきくかわ」だった。

「久々の鰻に心躍ったが、フェンシングと鰻との関係を問うた僕に『どちらも刺すモノだろ』という先生の答えで、味の記憶がぶっとんだ」

   たまの御馳走として、時には人生の節目に登場する鰻。松重さんにとっても「特別」な食べ物であり続ける。「スーパーで買ってチンして食べるなんてもってのほか。まして牛丼屋で『うなぎゅう』なんつって牛と一緒に乗せられるウナギの気持ちになってみろってんだ」と、つい悪態をつきたくなるくらい大切な存在なのだ。

「年に一回いや数回、焼き上がりまでの数十分、芳しい香りと共に自分の努力苦労無念も成仏させて、出来上がりを一気にかき込み、全てを忘れて明日に向かう。そんな食いもんなんだ、うん」

   松重さんは福岡に帰るたび、父親が店名しか教えてくれなかった「吉塚うなぎ」で舌鼓を打つという。

「亡き父を想って重箱の蓋の上に鰻の一切れをお供えして。なんてことは一切しない。重箱の隅まで舐め尽くす。食べ物の恨みも特別根深いのだ」

非日常の美味さ

   クロワッサンの巻末を飾るこの連載には、編集部の紹介コメントが付いている。

   〈俳優・松重豊さんが紡ぐ、「食の記憶」エッセイ。イラストは、松重さんと親交の深い作家・あべみちこさん。記憶に残る料理には、その時代、その瞬間のドラマ、自分の人生そのものが詰まっている。二人が織りなす奥深い食の世界から、どうぞご一緒に記憶を辿る旅に出かけましょう。〉...チカラの入れようがわかる。

   ちなみに初回は「ポパイとほうれん草」の話だった。面白かったが、「食の記憶」により忠実で、随筆としての完成度が高いのは本作のほうかと思う。

   文中にはウナギ、鰻、うなぎの三種の表記が混在している。「うなぎ」は実際の屋号、吉塚うなぎ屋(明治6年創業)に沿ったものだから変えようがないが、注意深く読むと、生き物としてはウナギ、食材あるいは御馳走としては鰻と、書き分けているように見える。

   読みどころは鰻の位置づけだろう。それは〈芳しい香りと共に努力苦労無念も成仏させ、全てを忘れて明日に向かう食いもん〉だという。つまりは日常をリセットする、非日常の御馳走だと。我を忘れるほどの美味さは他の食材や料理にもあるけれど、鰻には五感を刺激する魔力的な美味さが、確かにある。

   本作には「蒲焼きで食うべきか白焼き山葵で食うべきかそれが問題だ」というハムレット風のタイトルがつく。もちろん、筆者がフェンシングの殺陣を習った舞台にちなんだものだ。編集部が筆者との共同作業を楽しみながら、丁寧にこしらえていることがわかる。

   筆力に見合うこの扱い、松重ファンとして嬉しく思う。

冨永 格

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