2018年 7月 21日 (土)

追悼 横澤さんの4段ロケットはまだ飛んでいる

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   1月8日(2011年)に亡くなった横澤彪さん宅に翌日駆けつけると、枕元に大吉のおみくじが置いてあった。近所にお参りして、「ことしはいいや」と言っていたというのに。

   テレビウォッチの横澤コラムは、がんを発症して入院したときに始まった。学生時代からの友だちなので、何でも言える。「病院でひまだろうから、テレビを見て書いてくれよ」といったら、「それはいいね」と引き受けてくれたのである。抗がん剤で苦しみながら、書き続けて4年。自宅の書斎においてあったメモノートは22冊目。表紙にJ-CAST担当者の携帯番号が大きく書かれていた。

   発病と診断される数か月前、足の腿が太くなって変だという。ズボンが張り裂けそうだった。他人には暗い顔を見せない人で、「いやあ、がんになっちゃった」といわれて、返答に困った。

   フジテレビに入社したが順風満帆ではなかった。

   あるとき、外でぱったり会ったときは、組合運動で飛ばされて、産経新聞社の出版部門営業にいるといった。それから数年、私が海外勤務から帰ると、漫才ブームの仕掛け人としてテレビに復帰していた。毎晩、小劇場に通い、何が人を喜ばすのかをじっと見て、研究していたのだという。人気プロデューサーになっていた。

   私は週刊朝日にいたので、人気お笑い仕掛け人に連載コラムを頼んだ。必殺シリーズのプロデューサー、山内久司氏と隔週で「必殺お笑い人」とした。彼は「父が喜んでね」といった。父親は朝日新聞の記者だったので、息子が朝日新聞の出版物に書くというので、ようやくお前も一人前になったといったそうだ。「いまはテレビの時代なのに、親父は古くて。でも、はじめての親孝行かな」と笑った。

   彼の芸能界を見る目は厳しいが、さすがに予想は当たったと思う。ビートたけし対談を企画したとき、相手に当時関西から東京へ来たばかりの笑福亭鶴瓶を推薦してくれた。「これから売れるよ」といった。和田アキ子、浜田雅功などを高く買っていた。

   周辺への気遣いが、また特別だった。食事やカラオケに行くとき、女子アナを連れてきたことがある。「実力はあるが売れていない」社員アナだった。「同期生に人気アナがいて、陰に隠れているので」とYアナ、早朝番組で大変だからとHアナ。その後、人気アナになった。

   フジテレビを退社して吉本興業に移ったのが95年。本人は満足だったが、ぽつりと言ったことがある。

「フジでは誰も止めないのだよね」

   お世辞でもいいから、残ってほしいといってほしかったという。あれだけフジテレビに貢献し、フジが好きなのに、サラリーマンはさびしい。

   このとき、「人生3段ロケット」の話をした。1段目がフジテレビ、2段目が吉本興業、3段目は女子大の先生。じっさいに、吉本の後、鎌倉女子大の教授になって、若い女性と番組もどきの制作を楽しんでいた。

「それが、お茶大とか、津田塾でないところがいいんだよ。あっちのほうは怖いからね」

   横澤さんは、その後4段目のロケットになった。インターネットでコラムを飛ばしたのである。生涯テレビ人である。4段目のロケットはインターネットの宇宙へ飛んでいる。惑星探査機「はやぶさ」のように、ぐるーと回って、また戻ってきてくれ。

J-CASTニュース発行人 蜷川真夫)

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