普段から顔の表情が雄弁だった田中邦衛!グラビア撮影で待ち合わせた時も『青大将』そのまま―他5編

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   先週から今週にかけて大きなニュースが続発した。俳優・田中邦衛と脚本家・橋田寿賀子の訃報、有吉弘行と夏目三久の結婚である。私は田中の悲報を知った夜、朝まで『北の国から』を見ながら彼のことを偲んだ。

北の国から(FOD公式サイトより)
北の国から(FOD公式サイトより)

   私が彼と会ったのは1970年代の中頃、『北の国から』(1981年から放送)が始まる前だった。月刊現代のカラーグラビアの取材だった。京都のイノダコーヒーで待ち合わせた。キャップを被り、『若大将シリーズ』で当たり役になった青大将そのままのにこやかな顔で迎えてくれた。

   「ここは健さんもよく来るんだ。健さんは、嵐山の近くにある霧蕎麦も好きで、時々食べに行く」。問わず語りに、京都のうまいものなどについて話してくれた。脚本家の倉本聰によると、田中は顔で演技し過ぎだというが、たしかに、手振りより顔の表情が雄弁な人だった。撮影を終えて別れるときの彼の笑顔が今も忘れられない。

   岐阜県土岐津町の百年以上続く美濃焼の窯元の家に生まれた。短大卒業後、俳優座養成所の試験を2度落ち、故郷の中学で代用教員をしている。週刊文春によれば、<「英語の授業で黒板にレッスンを『LESON』と書いて、生徒から『先生、Sがひとつ足りません』と(笑)。こりゃダメだと再び役者の道を目指したんです」(『北の国から』からの演出を手掛けた杉田成道)>

   若大将シリーズや高倉健との『網走番外地』、深作欣二監督の『仁義なき戦い』で名脇役として比類なき存在感を持つ俳優になっていく。30歳の時に3歳下の女性と結婚、2人の娘をもうけた。酒は飲まずギャンブルもやらない。売れっ子になってもスタッフとの垣根をつくらなかった。電車に乗って撮影所に通い、「GUCCI」とマジックで書いた紙袋をカバンがわりにしていたという。

   公の場に姿を見せたのは2012年8月、『北の国から』で共演した地井武男のお別れの会だった。同ドラマの「2002遺書」で田中はこういっている。「うまくいえんが、遺すものはもう遺した気がする。金や品物は何も遺せんが、遺すものは伝えた気がする」

   そう、彼からは人間として生きていくための大切な多くのことを教えてもらった。享年88。

   橋田寿賀子は熱海で一人暮らしだった。夫はTBSプロデューサーの岩崎嘉一だが、肺腺がんで60歳の若さで亡くなってしまう。週刊文春によれば、晩年は安楽死に関心を寄せ、「頭がボケたまま生きることだけが恐怖だ」と、安楽死を受け入れてくれるスイスの団体に興味を持っていたという。つい最近まで、さまざまな問題について週刊誌などにコメントを出していたから、その心配はなかったようだ。

   瀬戸内寂聴は朝日新聞(2021年4月8日付)で、橋田と会った時、「死ぬまで戦争反対だと言った時は、握手を需(もと)められた。大きな掌(てのひら)に、私の小さな掌は包みこまれて幸せだった」と手記を寄せている。NHKの連続テレビ小説『おしん』は長く語り継がれるだろう。

夏目三久・有吉弘行「結婚」で注目されるある因縁―日刊スポーツのスクープ潰し6年以上もOK出さなかった芸能界のドン

   夏目三久(36)と有吉弘行(46)が結婚を発表した。これが注目を集めたのは、ある"因縁"があったからだ。2人が出会ったのは10年前、『マツコ&有吉の怒り新党』(テレビ朝日系)だったが、それから5年後の2016年8月24日、日刊スポーツがこう報じたのである。<有吉の子供 夏目三久アナ妊娠 熱愛!!結婚は未定>。翌日続けて「年内結婚へ」と報じた。

   当事者たちはともに事実無根だと否定し、11月24日に日刊スポーツが1面で謝罪したのである。それも<特に妊娠という女性にとって重大な事柄について、ご本人に確認しておらず>と、大誤報だったと全面降伏したのだ。

   日刊スポーツは夏目が所属する田辺エージェンシー(田邊昭知社長)への出入り禁止。記事を担当した社員は処分され、記者の1人は後に退社したそうだ。芸能界のドンといわれる田邊社長が激怒したため、妊娠はおろか交際そのものもなかったことにされてしまったのである。

   夏目は日本テレビのアナウンサーだったが、2009年、写真誌ににこやかにコンドームを持っているプライベート写真が流出して、退社しフリーになった。日刊スポーツ報道後には、田邊と夏目が親しく、そのために有吉と別れさせたのではないかという"噂"まで出たが、報道前の2014年には、有吉が夏目の暮らす高級マンションの目の前に引っ越し、お互いの部屋を行き来するようになっていたという。

   以来、夏目のほうは独立をチラつかせ、有吉は田邊社長に2人の結婚を許してくれるようお願いし続けたそうだ。その甲斐あって、結婚を発表する前日、日刊スポーツの幹部が田邊に呼び出され、2人の結婚を告げられ、夏目を出さないで「有吉結婚」と見出しに打ってよいとお許しが出たという。

   何のことはない、事実上結婚していたにも関わらず、6年以上も秘密を厳守させられ、ようやく公に発表できたというのである。今でもこんな非人間的なことが行われている芸能界は、私にいわせれば異常としか思えない。2人の結婚は目出度いが、今回の背景にある「芸能界のドンによる支配」の暗部を取材し、暴いてほしいものである。

元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任。講談社を定年後に市民メディア『オーマイニュース』編集長。現在は『インターネット報道協会』代表理事。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)『現代の“見えざる手”』(人間の科学社新社)などがある。

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