2024年 4月 18日 (木)

「モザイクかけたら人間は描けない」 想田和弘監督インタビュー(上)

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   いま職場では、うつ病などメンタルヘルスの問題が深刻化している。仕事や人間関係で追い詰められ、働けなくなったり命を絶ったりする人が増えている。だが心の病は、身体の病気に比べてその実態がわかりにくく、患者と健常者の間には「見えないカーテン」が存在する。これまでタブーとされてきた精神科の内側の世界。そこにカメラを入れ、モザイクなしで人々の表情を撮ったドキュメンタリー映画『精神』が2009年6月13日から公開される。現代人の精神のありように真正面から迫った想田和弘(そうだ・かずひろ)監督にインタビューした。

>>「心の病になったからこそ人生が豊かに」 想田和弘監督インタビュー(下)

大学生のとき、精神科に駆け込んだ

ニューヨークを拠点に映像制作を行っている想田和弘監督。前作のドキュメンタリー映画『選挙』では、日本の地方選挙の舞台裏を生々しく描き出し、海外で高い評価を受けた
ニューヨークを拠点に映像制作を行っている想田和弘監督。前作のドキュメンタリー映画『選挙』では、日本の地方選挙の舞台裏を生々しく描き出し、海外で高い評価を受けた

――映画のテーマとして「精神の病」を選んだのはなぜですか?

想田   一番の原体験はハタチのころです。僕は、東京大学新聞という学生新聞で編集長として活動していたんですが、寝る間も惜しんで、モーレツサラリーマンみたいな感じで仕事をしていたんですよ。学生新聞なんですけど、年間6000万円の予算があって、大正時代から続く権威ある新聞なので、その編集長というのはすごいプレッシャーなんですね。それで、ある日突然、はたと何もできなくなっちゃったんです。

   たぶん、積もり積もった疲れとか、寝不足とか、ストレスがあったんだと思いますが、急に何もできなくなった。特に記事を書こうとすると、吐き気がするんですよ。そのとき、直感的に「これは身体の病ではなくて、精神の変調だろう」と思いました。それですぐに、精神科のドアを叩いたんですね。

――どこの精神科に行ったんですか?

想田   東大の学内に精神科があって、そこに行ったんですよ。本郷の安田講堂の下にある精神科です。そしたら、そこの先生に「君、そりゃ、燃え尽き症候群だよ」と言われました(笑)。僕も「そうだよな」と。先生には「休んでいなさい」と言われましたが、僕は休むどころか、診断書をもらって編集室に戻り、「こういうわけで燃え尽きちゃったから、オレ、この場でやめるわ」と言ったんです。

――そうなんですか(笑)。きっぱりと。

想田   やめたんです。そして「悪いけど、引き継ぎも辛いからできない」と言って、仕事をほっぽりだして足利の実家に帰ってしまったんです。実家に帰ったらすごく安心して、こんこんと眠ったんですよ。そしたら、1週間でケロっと直っちゃった(笑)。原因が取り除かれたから、ほんとに治っちゃったんですよ。でも、もう新聞には戻る気がしなくて……。

「テレビ局は、精神を病んだ人たちの巣窟だ」

映画『精神』は2009年6月13日、東京・渋谷のシアター・イメージフォーラムで公開される。その後、全国で順次上映される予定だ
映画『精神』は2009年6月13日、東京・渋谷のシアター・イメージフォーラムで公開される。その後、全国で順次上映される予定だ
想田   そのときに僕の中で、精神科のイメージというか、精神病患者のイメージが180度、コペルニクス的転回をしたわけです。だって、精神病の患者さんというのは、僕は異星人だと思っていたから。「自分とは関係ない」「自分はすごく強靱な精神をもっているから、なるわけがない!」と思っていたんですよ。ところが、自分もなるじゃん!と(笑)。

   この体験を人に話すとよく笑われるんですよ。「精神科というのは自分から行くところじゃない。人から強制されて行くんだよ」と。なるほどと思うんだけど、違和感も残りますよね。歯が痛かったら自分で歯医者に行くのに、なぜ精神科はそうじゃないのか、と。これは長く、僕の問題意識として残っていました。それから10年くらい歳月がたって、僕はNHKのドキュメンタリーを作っていたんですけど、そのときまた、同じような体験をしたんですね。

――そのときは、どこで仕事をされていたんですか?

想田   ニューヨークの制作会社に入っていました。そこで受けた仕事として番組を作っていたんですけど、ちょうど2カ月間、日本で編集作業をしなくちゃいけなかったんですね。そのときにすごく辛くて、また、精神的にすごく追い詰められたんですよ。

――それはどうしてですか?

想田   まず寝ないでしょ。それから、働きづめでしょ。しかも、上には怒鳴られる。パワハラのオンパレードで、とにかく辛かった。そのとき、東大新聞のことを思い出して、あのときにも似たようなことがあったな、と。それに加えて、自分の周りを見てみると、似たような人がいっぱいいるわけですよ。もう燃え尽きちゃっているのに、無理してずーっとやっている人とか(笑)。
撮影は2005年秋と2007年の秋に、延べ約30日間をかけて行われた。「自分の境遇や苦しみを誰かにしゃべりたいという気持ちを感じました」
撮影は2005年秋と2007年の秋に、延べ約30日間をかけて行われた。「自分の境遇や苦しみを誰かにしゃべりたいという気持ちを感じました」

――テレビとか、そういう人が多そうですよね。

想田   めちゃくちゃいますよ。巣窟です(笑)。「叩けばなんとかなる」という空気があって、逃げ場がない。一緒にやっている人のなかに精神科に通っている人がいたり、自殺しちゃった人がいたりして……。僕は2カ月で終わるって分かっていたから乗り越えられたけど、これが永遠に続くと思ったら、絶対に病気になったと思います。

   そのときに、映画の着想がわいたんです。「もしかしたら、(心の病というのは)日本全体の問題なんじゃないか? 現代社会のどこにでも似たような話があるんじゃないか?」と。それで、(心の病をテーマにした)映画を撮ったらいいんじゃないかと思いました。まあ、テレビのドキュメンタリーを撮っていたわけだから、普通だったら「テレビでやろうかな」と思うんだろうけど、テレビでは絶対にできないと思ったんですよ。

――なぜですか?

想田   たとえば、テレビだったら、(精神科の映像を撮っても)必ずモザイクをつけるでしょ。「患者の人権、プライバシーを守る」という名目で自分たちを守っているだけなんですけど……。でも、僕は絶対、モザイクをかけたくなかった。モザイクをかけると、逆にタブーを推し進めることになるし、見ちゃいけないもの、触れちゃいけないものという感覚をより強化するでしょう? それに、モザイクをかけて顔を見えなくしたら、人間なんか描けないですよ!

――表情が分からなくなってしまいますからね。

想田   「目は口ほどにものを言う」わけでしょ。だけど、目が見えないんだから、人間なんか描けるわけないんですよ。だから、モザイクは絶対に使えない。だったらテレビじゃ無理だろうというのがあったので、映画として、自主制作でやるしかないなと考えたわけです。

>>「心の病になったからこそ人生が豊かに」 想田和弘監督インタビュー(下)


想田和弘(そうだ・かずひろ)監督 プロフィール
   1970年、栃木県足利市生まれ。東京大学文学部宗教学科を卒業後、米国ニューヨークのスクール・オブ・ビジュアルアーツ映画学科で映像制作を学ぶ。1993年からニューヨークに住み、劇映画やドキュメンタリーを制作。これまでにNHKのドキュメンタリー番組を合計40本以上演出している。07年公開のドキュメンタリー映画『選挙』は、ベルリン国際映画祭や香港国際映画祭など世界中の映画祭に招待されて高い評価を受けたほか、日本でも全国で劇場公開され、大きな反響を呼んだ。ナレーションやテロップ、音楽を一切使わない独特の映像スタイル(=観察映画)に挑んでいる。09年6月には、初の著書『精神病とモザイク:タブーの世界にカメラを向ける』(中央法規出版)を刊行予定。

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