2024年 4月 30日 (火)

55本の「聖域」に踏み込んだバレンティン 「飛ぶボール」だからここまで増えたのか?

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かつては平然と「外国人差別」

   プロ野球OBの多くは日本人投手の意地のなさにあきれかえっているだろう。王が記録を作った巨人でさえ3番目に多い8本も打たれている。それも記録が話題になった8月に6本も許した。さすがに原監督が「打たれすぎだ」と苦言を口にしたほどだった。

   王が55本を記録した翌年の1965年、南海の野村克也は三冠王を目指していた。ライバルは阪急のスペンサーという怪力の元大リーガー。両者が本塁打で争っていたとき、南海はおろか他チームの投手までスペンサーを敬遠責めにした。「よその人(外国人選手)にタイトルは取らせることはないさ」と主力投手たちは平然と言ってのけたものである。このデッドヒートは、シーズン終了間際にスペンサーが交通事故で戦列を離れるという思わぬ幕切れを迎えた。結果、野村は戦後初の三冠王に輝いた。もし事故がなかったら騒ぎは大きくなっていただろう。

   外国人選手は成績を残さなければ大きな契約を取れない。ここは日本選手と大きく異なるところだ。以前は来日外国人選手の中に、必ずボス的存在がいた。大リーグで実績を上げた選手が元締めになるケースが多かった。

   そのボスが「日本球界で長くプレーできるコツ」を指南する。これは大事なことで、多くの選手が寿命を延ばした。バレンティンのケースは、昔なら「王の記録は抜くな」とアドバイスしていたかもしれない。しかし、残り22試合もある。よほどのことがない限り、まもなく48年間守られた「聖域」は破られることになるだろう。

(敬称略 スポーツジャーナリスト・菅谷 齊)

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