「フクシマ忌」の是非【福島・いわき発】

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   最初に、「フクシマ忌」に関する2011年7月30日、同8月7日付当ブログの抜粋をお読みいただきたい。


   ――年4回発行の浜通り俳句協会誌「浜通り」第141号が届いた。<東日本大震災特集号>である。多くの俳人が3・11の体験を記し、句を詠んでいる。招待の黒田杏子(ももこ)さんの作品に「原発忌福島忌この世のちの世」があった。「原発忌」と「福島忌」。新しい季語だ。


   同誌所収の黒田さんのエッセーに、選を担当する「日経俳壇」に掲載した句がいくつか紹介されている。「おろかなる人知なりけり原発忌」「広島忌長崎忌そして福島忌」。新季語にやりきれない思いがわいてくる。(以上、7月30日)


   ――被爆と被曝。原爆忌と原発忌。広島忌・長崎忌と福島忌、あるいはヒロシマ・ナガサキ・フクシマ。


   原発忌と福島忌に反発する以上は、原爆忌や広島忌・長崎忌の季語を安易に使ってはいけない。単に文章を飾り、整えるために引用してはいけない。自分の問題として内部に深く引き寄せて読み、書く。それで必要ならば使う。そんなことを戒めにせよ、と思うのだった。(以上、8月7日)


   今もその気持ちに変わりはない。いや、「フクシマ忌」が目につくにつれて反発も強くなった。そんな状況下で出合った文章がある。角川学芸出版「俳句」2014年9月号、宮坂静生さんの「季語探訪――東北を歩く(2)」(=写真)だ。「浜通り」第154号の編集後記で、発行人の結城良一さんが雑誌を紹介していた。


   宮坂さんは<かねてから気になっていた(略)「フクシマ忌」という季語が私の中で立ち上がるだろうか、そんなことを考えながら、七月末に福島県浜通りを歩いた>。結城さんらが車で案内した。


   <私は(略)「フクシマ」を忌と括ることに賛成できない。そこには俳人の便宜主義とでもいうような手早くことにけりを付けたい、纏め難いことを引っ張るよりも、端的に括りたい。悼むことでより深く考えなければならないことを回避する安易な思いが働いているのではないか>


   俳人自身が「フクシマ忌」の是非を論じている。この文章に触れて初めて溜飲が下がった。宮坂さんの福島行は内部に生まれた疑問、是非を確かめるための旅でもあったろう。


   国道6号が全通したのは9月15日。一行はその前にいわきから双葉郡に入り、無人の富岡町役場・消防署付近でパトカーに北上を止められる。沿岸部にある常磐線富岡駅を見たあと、いわき市内の津波被災地を小名浜まで南下する。塩屋埼灯台にも上った。


   その体験を踏まえて、「原発震災」後、作品に詠まれるようになった言葉(除染・汚染水・シーベルト・放射線・原発・被曝など)を紹介している。その一部(いずれも句誌「浜通り」に掲載された)。

汚染水行きどころなし夏の果  田崎武夫
放射能知らずや草の芽ぞくぞく 長岡 由
被曝圏ああこんなにも蕗の薹  結城良一

   地元福島の俳人は「フクシマ忌」とどう向き合っているのだろうか。あらためて「浜通り」をチェックしたら、ところどころに新季語が見られた。俳人の内部に深く突き刺さった言葉かどうかはわからない。

(タカじい)



タカじい
「出身は阿武隈高地、入身はいわき市」と思い定めているジャーナリスト。 ケツメイシの「ドライブ」と焼酎の「田苑」を愛し、江戸時代後期の俳諧研究と地ネギ(三春ネギ)のルーツ調べが趣味の団塊男です。週末には夏井川渓谷で家庭菜園と山菜・キノコ採りを楽しんでいます。
■ブログ http://iwakiland.blogspot.com/

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