2019年 10月 15日 (火)

俳人の金子兜太さん死去、98歳 「アベ政治を許さない」揮毫も

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   俳句界に新風を吹き込み、90歳を過ぎても現役で活躍し続けた現代俳句協会名誉会長の金子兜太(かねこ・とうた)さんが2018年2月20日、誤嚥性肺炎による急性呼吸促迫症候群のため死去した。98歳だった。各メディアが伝えた。

   俳句は季語や旧仮名づかいなど制約が多い芸術だが、金子さんは創作の自由度を広げることを主張し、理論と実作の両面で俳句の革新を訴え続けた。小林一茶や種田山頭火の再評価でも知られた。15年に安保関連法案の反対運動が盛り上がった時には、プラカードの「アベ政治を許さない」というメッセージ文字を揮毫して話題になった。

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日銀の「窓奥族」

   1919年、埼玉県西部の小川町に生まれる。兜太は本名。父親は開業医で俳人でもあった。地元の伝統芸能の保存運動にも熱を入れ、自宅の庭は秩父音頭の練習の場になっていた。金子さんは幼少時から、俳句に類似した七五調の民謡に親しみ、「秩父が私の俳句の産土」と語っていた。

   実際に俳句を作り始めたのは旧制水戸高校時代から。加藤楸邨らに師事する。東大経済学部を卒業して日本銀行に入り、海軍経理学校を経て1944(昭和19)年、海軍主計中尉としてニューギニア近くのトラック諸島に赴任する。まもなくサイパンが陥落して補給路が断たれ孤立、食糧不足で餓死者が続出した。「嫌というほど無残な死を見てきました」――戦場の悲惨さを生身で体験したことが戦後人生の出発点となった。

   戦争捕虜となり、米軍施設の建設に従事した後、46年末に帰国。日銀に復帰したが、銀行内の身分格差に憤りを感じ、労組の専従事務局長に。「当時の勤め人にとって、反戦平和と言えば組合活動だった」(『語る兜太』(岩波書店)。上司ににらまれ、出世コースから完全に外されて福島、神戸、長崎と地方支店を転々とした。その間に、「アンチ東京俳壇」で鼻息が荒かった関西の前衛俳人らとの交流を深め、触発される。56年、現代俳句協会賞。57年、『俳句』誌に「俳句の造型について」を発表、次第に日銀マンの仕事から俳人としての活動に軸足を移した。

   60年に東京に戻り、日銀には74年の定年まで勤める。晩年は金庫番。窓際族ならぬ「窓奥族」と自称した。

   退職後は78年から東京・新宿の朝日カルチャーセンターで30年にわたって俳句講座を受け持ち、ざっくばらんな語り口で人気講師に。後半の10年ほどは東京・青山のNHK文化センターでも教えた。テレビの「NHK俳壇」「BS俳句王国」にも出演し、「伊藤園お~いお茶新俳句大賞」の最終審査委員も長年続けるなど、俳句の裾野拡大、大衆化に貢献した。08年に文化功労者、10年に菊池寛賞、 16年に朝日賞。

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