2024年 4月 27日 (土)

保阪正康の「不可視の視点」 明治維新150年でふり返る近代日本(26)
「徳目」欠いた日本の軍事学

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戦略・戦術を検証するための5つのポイント

   この稿でもアッツ島の玉砕の折に触れたのだが、大本営、政府は玉砕をこの国の国民の美徳に数え上げた。そうした玉砕には軍事学がなかったことを露呈しているにもかかわらず、そのような反省は一切行わないでひたすら国民や兵士に責任を負わせるような言動に終始した。激戦地で、あるいは玉砕地でたまたまアメリカ軍の捕虜になるのは、人事不省となった兵士が多かったというのは、各種の統計や証言からも明らかだが、それでもなお「死なせてほしい」と要求する日本軍の兵士に、アメリカ軍は説得を試みたのはよく知られた話である。こうした戦略、戦術に、どのような総括をすべきであろうか。さしあたり次のような見方を問題点として指摘しておくべきであろう。箇条書きにしておきたい。

(1)次代を担う青年層に一方的な死を強要した指導者の知的退廃

(2)軍事の暴走を勇気を持って止める指導者不在の国内政治

(3)国民の間にあった権力追随の体質の横行と黙認

(4)神国日本の神兵といった教育の泥縄式による国家の方針

(5)軍事はそれぞれの国の伝統や文化、思想の集大成という意識の欠如

   こうした事実を指摘していくと、私たちの国は歴史的に時に全くの変調をきたしてしまったことを自覚しなければならない。

   この5項そのものがいずれも重要なのだが、特に重要なのは、第5項である。これがつまるところ日本に軍事学がないという証になるのだが、こうした軍事学は不可視の領域になる。いわば武士道などの教えがどのように軍隊に入り込んでいたのかを見ておくべきであった。一般的にいうなら、軍事学は基本になる徳目がある。この徳目のうえに軍事理論は構築されるべきである。日本ではそれがどのように行われていたのか、がまず問われるべきであった。そこでその徳目を詳細に見ていくことにしたい。一般的にいうならば、その徳目は仁とか徳、あるいは智といったような語であらわされる。それらの徳目に基づいて作り上げられる軍事学を改めて考え直したい。(第27回に続く)




プロフィール
保阪正康(ほさか・まさやす)
1939(昭和14)年北海道生まれ。ノンフィクション作家。同志社大学文学部卒。『東條英機と天皇の時代』『陸軍省軍務局と日米開戦』『あの戦争は何だったのか』『ナショナリズムの昭和』(和辻哲郎文化賞)、『昭和陸軍の研究(上下)』、『昭和史の大河を往く』シリーズ、『昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)など著書多数。2004年に菊池寛賞受賞。

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