2021年 4月 12日 (月)

としまえん閉園は「半世紀以上前」からの運命だった? ハリポタ計画への長い伏線

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練馬なのに「としま」な理由とつながる「練馬城」

   公園の名前からわかるように、かつてこの地には「練馬城」が存在した。14世紀に豊島氏が建てたこの城は、太田道灌に攻め込まれ、後に落城したとされている。それから約400年たった1926年(大正15年)、跡地に作られた遊園地には、豊島氏にちなんで「練馬城址豊島園」と名付けられた。豊島園なのに豊島区にないのは、こういう事情があるのだ。

   住所は100年近い歴史の中で、東京府北豊島郡上練馬村→東京都板橋区→東京都練馬区と移り変わった。90年代には「史上最低の遊園地。」といった広告が話題になり、都営12号線(現:大江戸線)の開通で、交通アクセスも改善。バラエティー番組「水曜日のダウンタウン」(TBS系)の企画で、安田大サーカス・クロちゃんが園内に「収監」され、見物客が殺到した騒動(2018年12月)も記憶に新しい。

   いまでこそ「気軽に行ける遊園地」といった印象だが、開園当初のとしまえんは、どういう姿だったのか。18年12月3日の読売新聞(東京版朝刊)では、「『としまえん』なぜ練馬区に? 豊島氏居城跡に遊園地」のタイトルで、としまえんの広報担当者と、郷土史家の葛城明彦氏のコメントを掲載。葛城氏は「遊園地とはいえ、練馬城の城址公園との意味合いが強かった」と指摘していた。幼少期から通っていた筆者としては残念ではあるが、「本来の姿」に近くなるのであれば、それはそれでアリなように思える。

(J-CASTニュース編集部 城戸譲)

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