2024年 3月 19日 (火)

保阪正康の「不可視の視点」
明治維新150年でふり返る近代日本(57)
戦時下の教科書が教えた「超国家主義」

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   国民学校の軍国主義教育は、修身や音楽だけではなく、すべての学科に於いて明らかになった。この期の教師への指導要領には、例えば国語にあっては3項目を目標にせよと挙げられていて、その一項には、「他教科と相まって政治・経済・国防・海洋等に関する事項の教授に留意すること」となっている。

  • ノンフィクション作家の保阪正康さん
    ノンフィクション作家の保阪正康さん
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富士山も「日本一の山」から「たふといお山 神の山」に

   こうした教科書の特徴として、『教科書の歴史』(唐澤富太郎)によるならば、「この時代の国家主義が、単なる国家主義の域を越えて超国家主義となり、日本は神国であるという立場から教育するようになった」ということができた。国民学校の5年生、6年生の教科書には、およそ95%が超国家主義的な内容であった。そういう教科書の内容はどのようなものだったのか。例えば5年生の国語には、「大八洲」というページがあるが、そこには次のような内容が書かれている。

「この国を 神うみたまひ、  この国を 神しろしめし、 この国を 神まもります。 島々 かず多ければ、 大いなる 島八つあれば、 国の名は 大八洲国。 (以下略)」

   全ての神話に超国家主義的な彩りが成されていった。大正期のまだ自由主義的な空気が残っているころには、富士山を紹介するにしても、「富士は日本一の山」という内容であった。しかし超国家主義の時代になると、「たふといお山 神の山。日本一のこの山を 世界の人があふぎ見る」となる(前出の富澤書)。このような表現は、日本を越えて世界のレベルで考えることを子供たちに教えようとすることでもあった。いわば日本の軍国主義は、世界を射程に入れていると言わんばかりの内容であった。

   太平洋戦争下の国民学校では、客観的、知識的頭脳よりも、この国は世界でも冠たる国であるといった感情的心理の培養に努めさせたと言ってもよかった。もっと露骨な言い方をすれば、子供たちは軍事指導者によってあまりにも単純なロボットのようにさせられたというべきであったのだ。こういう教育を行なった指導者の責任は、子供たちへの歴史的罪を背負い込んだと言ってもよかった。むろん戦後も反省の弁すら漏らしていない。

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