2024年 4月 20日 (土)

保阪正康の「不可視の視点」
明治維新150年でふり返る近代日本(57)
戦時下の教科書が教えた「超国家主義」

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   国民学校の軍国主義教育は、修身や音楽だけではなく、すべての学科に於いて明らかになった。この期の教師への指導要領には、例えば国語にあっては3項目を目標にせよと挙げられていて、その一項には、「他教科と相まって政治・経済・国防・海洋等に関する事項の教授に留意すること」となっている。

  • ノンフィクション作家の保阪正康さん
    ノンフィクション作家の保阪正康さん
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富士山も「日本一の山」から「たふといお山 神の山」に

   こうした教科書の特徴として、『教科書の歴史』(唐澤富太郎)によるならば、「この時代の国家主義が、単なる国家主義の域を越えて超国家主義となり、日本は神国であるという立場から教育するようになった」ということができた。国民学校の5年生、6年生の教科書には、およそ95%が超国家主義的な内容であった。そういう教科書の内容はどのようなものだったのか。例えば5年生の国語には、「大八洲」というページがあるが、そこには次のような内容が書かれている。

「この国を 神うみたまひ、  この国を 神しろしめし、 この国を 神まもります。 島々 かず多ければ、 大いなる 島八つあれば、 国の名は 大八洲国。 (以下略)」

   全ての神話に超国家主義的な彩りが成されていった。大正期のまだ自由主義的な空気が残っているころには、富士山を紹介するにしても、「富士は日本一の山」という内容であった。しかし超国家主義の時代になると、「たふといお山 神の山。日本一のこの山を 世界の人があふぎ見る」となる(前出の富澤書)。このような表現は、日本を越えて世界のレベルで考えることを子供たちに教えようとすることでもあった。いわば日本の軍国主義は、世界を射程に入れていると言わんばかりの内容であった。

   太平洋戦争下の国民学校では、客観的、知識的頭脳よりも、この国は世界でも冠たる国であるといった感情的心理の培養に努めさせたと言ってもよかった。もっと露骨な言い方をすれば、子供たちは軍事指導者によってあまりにも単純なロボットのようにさせられたというべきであったのだ。こういう教育を行なった指導者の責任は、子供たちへの歴史的罪を背負い込んだと言ってもよかった。むろん戦後も反省の弁すら漏らしていない。

太平洋戦争とからめて教える「ウサギとカメ」

   こうした無責任さは、日本の古典やヨーロッパの童話なども全て神話的ナショナリズムの改変に通じている。見事なまでに、である。イソップ物語のウサギとカメの話は、巧みにそのストーリーの一部が改変されて教えられるのである。

   この内容はウサギとカメが競走するわけだが、ウサギはカメが遅いので途中で居眠りしたり、油断したりするのだが、最終的にはカメが勝つという寓話である。この中で日本はカメであり、アメリカはにたとえられる。最終的にはカメ(日本)が勝つのだが、このことを教えるにあたって、教師たちには、小さい者、弱い者、遅い者が強い者、力のある者に対して勝つということを徹底して教えなさいというのである。かえって大きい者が負けることがある、と教えよ、ただし、決して油断すると負けるという教訓は伝えてはいけないと教師たちへの指導書では命じている。現実の太平洋戦争と絡ませて教えよという意味であった。

   こうした教科書には、軍部の軍官僚と文部省の文官がお互いの教育観をぶつけての戦いがあったようだが、現実に戦時下とあれば軍官僚の意見の方がはるかに力を持つに至るのは当然であった。海軍の軍官僚は音楽教育で、日本は海洋国家なのだから、勇ましい海軍の内容を子供たちに教えよ、と要求している。そうした唱歌に「ウミ」があった。

   「ウミハ ヒロイナ、大キイナ。ツキガ ノボルシ 日ガシズム。」が1番だが、「ウミニ オフネヲ ウカバシテ、 イッテ ミタイナ ヨソノ クニ」が3番である。海の向こうには他の国があることを教えたうえで、海国日本の少国民に海事思想を教え込め、と教師たちには指示が出されている。といってもこの歌は直接的には海の壮大さを歌っているのであり、解釈を軍事と結び付けなければ心が弾む歌謡である。戦後もまたよく歌われている。これなどは例外とも言えるだろう。付け加えておけば、「軍かん」という歌もあり、こちらは当時よく歌われていた。

「行け行け、軍かん、日本の国のまはりは、みんな海。海の大なみ こえて行け。」

   この歌を歌うときは、帝国海軍の使命やその実力を讃えることで、少国民の意識を高揚させ、戦争の進む道を示すようにというのであった。しかし、こうした音楽教育を受けた子供たちは、自由時間などで歌うときは軍事を強調する歌は口ずさまなかったという統計もあるそうだ。

   戦争を鼓吹する歌は、子供たちの心理には必ずしも印象に残らなかったとも言えるようだ。そのことは国語や修身についても同じで、子供たちの残した回想記には軍国主義教育は、それ自体が子供の成長に対する暴力のようなものではなかったかと結論付けていいように思う。

   近代日本(明治維新から1945(昭和20)年8月まで)から現代日本(1945(昭和20)年9月から現代まで)への移行期は、むろん戦争が分岐点になるわけだが、教科書の変遷は極めてわかりやすく、二つの時代を対比させてくれる。このことをもう一歩踏み込んで、近代と現代は児童生徒にどのような人物を理想像として教えてきたのか、を確認してみたい。(第58回に続く)




プロフィール
保阪正康(ほさか・まさやす)
1939(昭和14)年北海道生まれ。ノンフィクション作家。同志社大学文学部卒。『東條英機と天皇の時代』『陸軍省軍務局と日米開戦』『あの戦争は何だったのか』『ナショナリズムの昭和』(和辻哲郎文化賞)、『昭和陸軍の研究(上下)』、『昭和史の大河を往く』シリーズ、『昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)『天皇陛下「生前退位」への想い』(新潮社)など著書多数。2004年に菊池寛賞受賞。

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