2024年 4月 27日 (土)

「ウマ娘」ウオッカ史実ではどんな馬? 日本ダービーを制した「女傑」の足跡をたどる

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秋の天皇賞、ハナ2cm差の最後の戦い

   2008年以降、古馬となったウオッカはまずは毎年3月にドバイに遠征。結果は2年とも出せなかったが、国内ではヴィクトリアマイルを4歳時2着、5歳時1着。安田記念を4歳5歳で連覇と、東京競馬場の長い直線を活かし差し脚を存分に発揮して活躍してきた。

   4歳、2008年の天皇賞(秋)。ダイワスカーレットと最後の戦いが行われた。逃げるダイワスカーレット、差して追うウオッカ。直線で2頭は競り合い、長い写真判定の末着差は2cm......勝ったのはウオッカだった。

   5度戦ったライバルとの結果はウオッカの2勝、ダイワスカーレットの3勝だった。ダイワスカーレットはこの年の有馬記念で1番人気逃げ切り勝ちして有終の美を飾り引退。彼女は生涯3着以下になったことがなく、完璧な名馬だったわけだが、4度2着になったうち半分の2度はウオッカだったのである。

   2009年、ウオッカは5歳で現役続行、最後のG1勝利となったのは東京芝2400mのジャパンカップだった。5番手からレースを進め、先に抜け出したところオウケンブルースリに追い込まれ、着差はまたも2cmながら勝った。とことん、負けん気の強い馬だったのだろう。そして6歳になり三度ドバイへの挑戦に向かったが、ドバイのG1前の前哨戦で8着に敗れたあと再び鼻出血が判明し、引退が決まった。

   強烈な差し脚と、ダービーだけではなくあらゆることに挑戦しつづけたウオッカはこれまでの常識では捉えられない新しい競馬の姿を見せてきたのだが、実は、ウオッカの挑戦は引退後も続いていたのである。

   ウオッカはドバイから日本に帰国せず、アイルランドで繁殖牝馬となった。オーナーはウオッカにヨーロッパの名種牡馬を種付けし、その産駒を日本で走らせるという壮大な夢があった。しかし今の所、残念ながら目立つような結果が出ている状況ではない。産駒からは4勝した馬が2頭出ているが、重賞勝ちはまだだ。そしてウオッカは種付けのため移動したイギリスで2019年、蹄葉炎のため天国に旅立ってしまったのである。

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