街を歩きながら、ここは昔どんな風景だったか考える。東京を撮り続けて来た写真家の鷹野晃さんは、同じ地点の昔の写真を探して比較してみた。都市の変化は目覚ましい。とくに東京は大震災、第二次大戦を経て変貌を遂げている。213か所を選び出し、昔の写真と現在を並べた「定点写真で見る東京今昔」(光文社新書)が2024年3月に出版された。町並みは全く違うが、群衆の熱気は昔も今も同じ通称二重橋といわれる皇居西の丸大手門は、1888年(明治21年)に架け替えられて現在のものとなっている。重厚な石の橋である。明治初期の写真が横浜港資料館にあった。木造の橋である。説明に「橋桁が二重構造であったことから二重橋と呼ばれた」とある。重厚とは言えないが、素敵に景色となっている。JR中央線、総武線、地下鉄丸ノ内線から見えるお茶の水の風景はどうか。1872年(明治5年)の写真が港区郷土歴史館にあった。とても東京とは思えぬ山間を川が流れている。停泊している船の荷は瓦だ。深川富岡八幡の連合渡御は、富岡八幡宮が所蔵していた1909年(明治42年)の撮影。各町の神輿が永代通りに集合している様子である。町並みは全く違うが、群衆の熱気は昔も今も同じ。夏のカンカン帽をかぶった男性たちが神輿を囲んでいる。上野の桜も、今も昔も変わらぬ美しさで咲いている。人の賑わいも変わらない。本から抜き出した昔の写真をご覧いただきたい。どこの風景かわかりますか?(※画像は本書より。)深川富岡八幡の連合渡御(1909年)富岡八幡宮所蔵。2023年の連合渡御。電車が通る大通り。ヒントは、東京の中心部です。1911年(明治44年ごろの日比谷警視庁前(国会図書館所蔵)現在はその警視庁舎跡に第一生命ビルが建っている。左が日比谷濠である。高速道路の工事中。今も昔も盛り場である。赤坂見附首都高速4号新宿線。東京都公文書館が所蔵していた1963年の写真でした。東京の出発点といえば。1935年の日本橋でした。震災から12年で復興も進んでいた。2040年ごろには首都高速が撤去され、日本橋の上に空が広がる計画である。
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