広陵高校の暴力問題、マスコミ報道なぜ遅れた 新聞社主催の高校野球で「告発」がSNSで先行拡大した事情

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   SNSで告発された広島県の私立広陵高校野球部員による暴力疑惑は、2025年8月10日に堀正和校長が会見を開き、第107回全国高校野球選手権大会を辞退する事態に発展した。

   学校や加害者の責任は当然だが、背景には高校野球の特異な構造がある。

  • 広陵高校が出場辞退。会見で頭を下げる広陵・堀正和校長(手前)(写真:スポーツ報知/アフロ)
    広陵高校が出場辞退。会見で頭を下げる広陵・堀正和校長(手前)(写真:スポーツ報知/アフロ)
  • 甲子園球場を後にする広陵高校のバス
    甲子園球場を後にする広陵高校のバス
  • 朝日新聞社
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  • 広陵高校が出場辞退。会見で頭を下げる広陵・堀正和校長(手前)(写真:スポーツ報知/アフロ)
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「教育の場」と「商業イベント」が混在する場所になった理由

   日本で野球が普及したのは、米国帰りの学生や教師が、東京開成学校予科(のちの東京大学)などで広めていったのがきっかけとされる。

   野球は教育の一環として急速な人気の高まりをみせ、1915年には第1回全国中等学校優勝野球大会が朝日新聞社主催でスタート、1924年春からは毎日新聞社の主催で全国選抜中等学校野球選手権大会も開催される。それぞれの新聞社にとってブランド価値を高め、紙面販売などの利益を高める大会となった。

   戦中の中断を経て、戦後の1946年に全国中等学校野球連盟、現在の日本高等学校野球連盟(高野連)が結成され、各新聞社と共に大会の主催者となる。

   高校野球はテレビの発展によってさらなる人気拡大を見せ、出場校も増加、スター選手も生まれる。

   そうするなかで、1963年に財団法人化(現在は公益財団法人)していた高野連が入場料などを管理、各新聞社は報道権益・広告効果などの間接的な利益を得るかたちが確立していった。

   かつて、内閣官房参与などをつとめた経験を持つ高橋洋一氏は、甲子園は高視聴率にもかかわらず放映権料が高野連の収入に計上されていない点を指摘し、「甲子園高校野球は、高野連とマスコミ(NHK、朝日新聞・放送、毎日新聞・放送)にとって、コストのかからない超優良イベントになっている」(『J-CASTニュース』2024年8月29日)と述べている。

   高校野球は「教育の場」と「商業イベント」という、相反するものが混在するのだ。

監督や指導者への従属を生む高野連の規程

   そんな高校野球で起きた今回の一件を、「教育の場」としての問題から見ていこう。

   今回の問題は、学校側と告発者側の意見がだいぶかけ離れている。そのなかで、広島県高野連の報告を受けた日本高野連は学校側の報告から2025年3月に「厳重注意」の処分を決めた。

   今回の事例が報道されなかったのは、「注意・厳重注意」は原則として高野連から公表しないというルールだからだ。

   さらに甲子園出場に関しても「変更がない」と述べたのは、学校側から新たな事実関係はないと説明を受けたからだった。

   この流れが、一方的かつ不透明な判断だという批判を生んでしまった。

   さらには、今回の被害者は転校しているとのことだが、彼は野球をやりたくても、1年は公式戦に出られない。

   高野連の令和7年度大会参加者資格規程第5条(3)は、転入後1年を経過しなければ出場できないと定め、いじめなど「やむを得ない理由」が認定されない限り例外はないのだ。

   スポーツライターの小林信也氏は8月11日放送の情報番組『サン!シャイン』(フジテレビ系)で、《そうなると、一層監督が『言うこと聞かないとどうなるか、わかってるな』って言葉にはしなくても、そういった空気がある》とコメントした。

   真剣に野球を志す生徒ほど、こうした規程が監督や指導者への従属を生む圧力になり得る。

   果たしてこれは教育の場として、正しいルールなのだろうか。

不信感をあおり、SNSだけが"声なき声"を代弁する構図

   もうひとつは、「商業イベント」としての問題だ。

   今回は被害者とみられる側の告発からオールドメディアでの報道までに時間がかかり、SNSでの拡散が先行した。

   当然ながら、被害者側にとってSNSでの告発は最後の手段だ。しかし報道メディアとしては、被害者だけではなく、加害者にも事実を確認した上で、公平な目を持って報じなくてはならないのも事実である。

   ただ、甲子園大会の場合、主催者として新聞社が名を連ねている。それがSNSでの加害者や組織への配慮・忖度による自粛ではないか、という見方へつながってしまったことは否めない。

   結果、SNSだけが"声なき声"を代弁する構図となり、不信感に火をつけてしまう。そして、その情報は真偽にかかわらず、加速度時に広まっていってしまったのだ。

   早いうちに毅然とした報道がなされれば、状況は変わっていたかもしれない。

   ただ、メディアと密接なつながりを持つ構造の高校野球の側面を指摘するスポーツ文化評論家の玉木正之氏は、以下のような経験をしたという。

   玉木氏は朝日新聞社系の出版社から依頼を受け、高校野球などのスポーツをメディアが利用する弊害を並べ、「メディアはスポーツ大会の主催者やスポーツ・チームの所有者(オーナー)になるべきでなく、スポーツ・ジャーナリズムに徹するべき」(『プレジデントオンライン』2023年5月25日)という原稿を書いたものの、没にされたのだそうだ。

   こうした関係性が、ジャーナリズム本来の役割を阻害している可能性は否めないし、SNSの拡散を止めることは難しいだろう。

   今回の一件は、高校野球を単なる美談や感動物語として消費する風潮に警鐘を鳴らしている。教育の場としての透明性、公平性、そして商業的利益との関係性を見直すことが求められている。

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