労働4時間で限界「虚弱エッセイ」に相次ぐ体験談 「限界が来ている」過渡期の今、識者が読み解く社会背景【#虚弱を考える】

   「自分だけじゃなかった」「めちゃくちゃ分かる」――。1995年生まれの文筆家「絶対に終電を逃さない女」さん(終電さん)が自身の「虚弱体質」をめぐる日常生活と思索について記したエッセイ「虚弱に生きる」(扶桑社)が大きな反響を広げ、共感する声が相次いでいる。

   もともと「虚弱体質」や「虚弱」という言葉は一定の市民権を得ていた。しかし「虚弱に生きる」のように、自身の虚弱体質を赤裸々に打ち明けた著作はほとんど見当たらず、国立国会図書館サーチでも「虚弱」を冠した一般書は数えるほどしか確認できない。

   なぜ今になって、虚弱体質が語られ、これほどの共感を集めているのか。また、そもそも虚弱体質とは、どのような体質なのか。3回にわたって当事者や識者と考えるシリーズ最終回は、フランツ・カフカ研究で知られる文学紹介者・頭木弘樹氏と、日本東洋医学会の理事で北里大学北里研究所病院の漢方鍼灸治療センター長・星野卓之氏に話を聞いた。

  • 「虚弱に生きる」が反響を広げている
    「虚弱に生きる」が反響を広げている
  • 文筆家「絶対に終電を逃さない女」さん(プレスリリースより)
    文筆家「絶対に終電を逃さない女」さん(プレスリリースより)
  • 「虚弱に生きる」が反響を広げている
  • 文筆家「絶対に終電を逃さない女」さん(プレスリリースより)

「虚弱に生きる」は「本当に画期的な本」、その理由とは

   「虚弱に生きる」には、終電さんが自身の虚弱体質と向き合ってきた経緯が書かれ、健康や体力、労働、時間、運動などをめぐる思索がつづられている。

   20代前半からさまざまな不調に見舞われ、病院に行っても原因が分からない。体力も筋力もなく疲れやすいため、体調を崩さずに済む労働時間が1日4時間・週20時間だと明かしている。

   頭木氏は、同書について「本当に画期的な本だ」と絶賛する。

「自身の体験を本にするには、『死にかけている』『難病を患っている』といった深刻な状況でなければ成立しない空気があり、『病気ではないが体が弱い』という場合だと難しかったと思います。そうした中で、ずばり『虚弱』で書いたのが、本当に素晴らしかった」

   頭木氏は大学3年生の20歳のとき、国の指定難病「潰瘍性大腸炎」を患い、13年間の闘病生活を送った。20年8月発売の著書「食べることと出すこと」(医学書院)では、食事と排泄が「当たり前」ではなくなった自身の体験を記している。

   「虚弱に生きる」を読んで、難病でも虚弱でもさまざまな困りごとが共通していることに驚いたという。「健康がスタートラインだとしたら、私はずっと、スタートラインを目指している」「体力がないと時間がなくなる」「体力をつけるための体力がない」などの表現に共感したと話す。

   毎月開催している読書会でも同書を扱った。すると、多くの参加者から「じつは自分も虚弱で悩んでいたが、診断のついた病気とは違うので言い出しづらかった。でも、言ってもいいのだと分かった」という意見が寄せられたという。

虚弱の告白を後押しした「失われた30年」と「ケアブーム」

   「虚弱に生きる」が大きな反響を広げる社会的背景は何か。

   頭木氏は、日本経済が長期停滞から抜け出せない「失われた30年」を一因に挙げる。高度経済成長期には、努力が収入や地位に直結し、体調を崩して頑張れなかった人たちなども保障を受けやすかった。

   しかしその後、努力が報われない時代が続き、上を目指すために「頑張らないとダメだ」という考え方が強まった。努力ができない人たちを見下すことで自分の立場を確認して安心する風潮も激しくなったという。

   ただ「さすがにその限界が来ている」と、頭木氏は指摘する。努力してもうまくいかない人たちも増加し、「もう無理だ」という声が表に出てきた。「『虚弱に生きる』は、虚弱な人だけでなく、努力が報われなかった人も読んでいるのではないか」

   また、多様な分野でケアの重要性が高まる「ケアブーム」も、同書に共感が集まる背景の1つだと説明した。

   頭木氏によると、ケアという考え方が広がる契機となったのは、アメリカの心理学者キャロル・ギリガン氏が提唱した、「正義の倫理」と「ケアの倫理」という2つの倫理観だ。次のように解説する。

「頑張っているか頑張っていないかで判断することは『正義の倫理』です。努力した人が勝ち組になる。しかし、頑張っていない人を切り捨てていいわけがない。『ケアの倫理』は誰も取りこぼしてはいけないことを重視します」

   今の社会には、「正義の倫理」から取りこぼされた人たちが大勢いるという。生きづらさを抱える人が目立つようになり、ケアという考え方も広まったため、「虚弱」についても声を上げられるようになったのではないかとみている。

   だが、学校や職場で虚弱を明かすのは「まだまだ難しい」とも語る。頭木氏自身も潰瘍性大腸炎を長い間隠していたという。難病でも虚弱でも、周囲の人々から「仕事を任せられない」と判断されるなど、社会的に不利な扱いを受けることは共通していると述べる。

   さらに、多様な人々に配慮する負担から、いわゆる「多様性疲れ」も強まっている。そのうちの1つが、一人ひとりに向き合わず「健康」という前提で扱う考え方であると、頭木氏は指摘する。

「本当は誰も取りこぼさない社会のほうが、健康的な人たちにとっても生きやすいはずと思います。それに弱いからこそ気付けることも沢山あり、弱い人たちを抱えこんでいる社会のほうが、逆に強みにつながっていたと思います」

   社会から「余裕」が失われつつある一方で、取りこぼされたものを拾い上げる「虚弱に生きる」が売れていることが嬉しいと、頭木氏は語る。そして、ケアの根本にある「誰も取りこぼさない」という考え方が広まることに期待を寄せている。

東洋医学における「虚弱体質」とは?

   「虚弱に生きる」に登場する「虚弱体質」とはどのような体質なのか。

   北里大学北里研究所病院で漢方鍼灸治療センター長を務める星野氏によれば、生まれつき体力がない体質という意味合いで一般的に使われている。ただし、こうした先天的な原因に加え、栄養不足や睡眠不足、環境悪化などの原因で、後天的に虚弱になるケースもあるという。

   東洋医学の診断では、患者を治療する際の指針となる「証(しょう)」という考え方があるという。患者一人ひとりの体質や体力、症状の現れ方など、患者の心身全体の状態を総合的に判断するもので、ここから治療方針が決まる。

   証を診断する物差しの1つが「虚実(きょじつ)」だ。虚実は2つに分けられ、体力や気力が足りない状態を「虚証(きょしょう)」と、反対に余分なものが溜まって健康を害している状態を「実証(じっしょう)」と呼んでいる、と星野氏は説明する。

   虚弱体質の人は、東洋医学では「虚証」と捉えられることが多い。症状としては、疲れやすさや食欲低下、摂食不良、体重減少などが起こるという。

   なお星野氏は、「実証」が良いわけではないと補足する。現代医学における内臓脂肪症候群(メタボリックシンドローム)のような事例は「実証」にあたりうるという。また、過度な運動によって風邪を引きやすくなることもある。つまり、虚証や実証のどちらでもない中間=中庸が理想だと指摘する。

   では、どのような場合に虚弱体質だと診断されるのか。星野氏によれば、東洋医学的な診断に入る前に、まず現代医学の検査で器質的・精神的な疾患がないかを確認する。「我々の漢方外来に来る患者さんは、内科や産婦人科、精神科などを受診し、それでも解決しない方が来る場合が多いです」

   一方で、先天的な虚弱は「悪いことばかりではない」とも述べる。「実証」の人に比べて生活に気をつけるため、生活習慣病になりにくく、「長生きすることも十分ありえます」。後天的に虚弱になる場合でも、不調や疲れといった症状が、環境を変えるべきだという警鐘になると説明した。

   虚弱体質について、職場など周囲の理解が得られにくい状況は多いという。星野氏は「今の社会は、全員が冬でも夏でも同じ時間に働くことを求めます。しかし例えば農家なら、春と夏は夜明け前から働いても、冬は休む。そういうメリハリが本来あったはずです」との考えを示した。

   最後に星野氏は、「全ての人が尊重されて保護されるようにしないと、これまで虚証の人達が担ってきた社会的役割などが失われ、社会全体が継続していかない。いま虚弱に悩んでいる方は割を食っているかもしれないけど、絶望しないでほしい」と訴えている。

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