内田梨瑚被告は懲役27年、川村葉音被告は懲役30年 残虐な犯罪に対して「極刑」でないのは生ぬるいのか

許されない犯罪だからこそ、司法に感情を持ち込んではいけない

   果たして、無期懲役刑、有期刑は「生ぬるい」のだろうか。

   たしかに、法律の条文上は、無期懲役受刑者でも服役10年、有期刑については刑期の3分の1を超え、悔悟の情が認められ、再び犯罪をするおそれがないとされれば、仮釈放の申請ができる。

   だが、法務省の発表によれば無期懲役の仮釈放までの平均期間は30年超え、令和7(2025)年版『犯罪白書』によれば、10年を超える刑期で仮釈放が認められた受刑者のうち94%超が刑期の9割以上を服役していることがわかる。

   仮釈放が認められたとしても、有期刑には仮釈放中、無期懲役の場合は生涯にわたって保護観察を受け続けなければならず、順守事項に違反すれば仮釈放が取り消されて再び刑務所に収監されることになる。

   それでも、その刑を「生ぬるい」と感じ、死刑や無期懲役でなければ心理的に納得できないという感情は、人間として自然なものだ。

   だからこそ逆説的に、司法はその感情に直接応えてはならない。

   もし世論の怒りの大きさに比例して量刑が決まるようになれば、世間に注目を集めた事件は極刑になり、報道されなかった事件は軽く扱われるなど、社会への「見え方」次第で人の命の重さが変わるいびつな司法が生まれてしまいかねない。

   量刑は、事件の中身によって決まらなければならないし、感情の熱量によって決まってはならないのである。

   永山基準が40年以上にわたって参照され続けているのも、司法の一貫した公平性を守るためだ。

   遺族の苦しみを前に、司法の論理は冷たく映るかもしれない。

   しかし「死刑にすれば解決だ」という感情論に飲み込まれることは、被害者の命を正面から悼むことにはならない。

   感情論から離れ、量刑と社会正義のあり方を問う議論へと昇華させることが必要なのではないだろうか。

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