事故翌日のフライトは「足は震え、管制との通信の声もかすれていました」
事故から30年の節目となる15年には、当時の植木義晴社長が長文のメッセージを掲載した。
123便事故を「御巣鷹の尾根に墜落するという大惨事を起こしてしまいました」と振り返り、520人の犠牲者を追悼。自身が事故当時、DC-10型機の副操縦士で、事故翌日のフライトを「足は震え、管制との通信の声もかすれていました」と振り返った。
さらに、御巣鷹の尾根への慰霊登山や清掃活動、安全啓発センターでの研修を挙げ、「現地・現物・現人(げんにん)」を重視しながら事故の教訓を引き継ぐ考えを示した。
16年は客室本部長、17年は整備本部長、18年は副社長、19年は東京空港支店長兼JALスカイ社長が、それぞれの職場や事故当時の経験を踏まえて発信した。
20年は新型コロナウイルスの感染拡大で、慰霊登山や追悼式が例年どおりには行えない状況だったが、赤坂祐二社長(当時)による、事故35年に際した投稿が行われた。
21年はJALエンジニアリング技術部が、データを活用した航空機の故障予測などを紹介。22年には客室本部と運航本部が、それぞれ安全訓練や運航現場の取り組みについて投稿した。
23年は、新入社員による安全啓発センターの見学と慰霊登山を紹介。事故後に生まれた社員が多くなるなかでも、「JALグループ社員一人一人が事故の事実と向き合い」教訓を受け継ぐ必要性を訴えた。