先の大戦を記憶している世代が少なくなっているのは、政治家の世界も同じである。その世代の少ない政治家がこの8月も、戦争について語っている。それを心に受け止めるか、もう時代が違うとするか。元首相、元自民幹事長が語った「不戦の誓い」かつての自民党のリーダー2人が、BS日テレ「深層NEWS」に登場して戦争を語った。古賀誠氏(86)は自民党の元幹事長、日本遺族会会長を務めた人である。2026年8月19日の番組でこう語っている。「戦争はわれわれの理屈を超えた世界だ。戦争だけはだめよ、やってはならない国であってほしい」福田康夫元首相(90)も、同番組の16日のインタビューで語っている。「われわれに課せられた命題は、戦争は絶対起こさない。それを達成するために外交を駆使するとか、国力をつけるとか、準備しなければいけない」古賀氏、父の遺骨の代わりに拾った小石を持ち帰って仏壇に古賀氏は開戦前年の1940年に生まれた、終戦記念日の後で父親戦死の知らせを聞いた。自民党幹事長を引き継いだ野中広務氏に背中を押され、2003年に初めて父の部隊が全滅したレイテ島のジャングルに赴き、慰霊した。父の遺骨の代わりに拾った小石を持ち帰り、自宅の仏壇に納めてある。古賀氏は、戦後世代の議員への警告として、「例えば『強い国』とは、何を誇れる国なのか。歴史を深堀りして考える必要がある」と繰り返し語っている。福田氏は父の赳夫・元首相と日本占領下の南京に移住した後、群馬県に戻った小学生9歳の時に終戦を迎えた。「軍国主義教育」が「民主政治」に逆転する「大変化に衝撃を受けた」と話している。高市首相は2026年8月15日の全国戦没者追悼式で、2025年に石破首相(当時)が13年ぶりに復活させた「反省」を使わず、「戦争の惨禍を、二度と繰り返さ『せ』ない」と、わざわざ「せ」を入れた。これについて、福田氏は「違和感がある。ふつうの日本語でしゃべってほしい」と言っている。戦中生まれの国会議員は麻生太郎氏ら5人となった「戦中生まれ」の国会議員は、麻生太郎・自民党副総裁(85)ら5人だけ(712人のうち)となった。最年少の森山裕・前幹事長(81)が、「平和への想い」を語り始めた。(8月16日日テレNEWS配信)終戦4か月前の1945年4月8日、鹿児島県鹿屋市の錦江湾に面した高台にあった防空壕で、森山氏は生まれた。この日は、対岸にある鹿児島市に米軍が大規模な空襲をかけた。戦争末期には、鹿屋市にある3つの飛行場から、日本最多の特攻隊員が出撃した。この夏の地元集会でも森山氏は当時の話を語っている。(ジャーナリスト菅沼栄一郎)
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