残り少なくなった「戦争を知る政治家」...自民党元リーダーの発言に耳を傾けるか、時代が違うと退けるか

   先の大戦を記憶している世代が少なくなっているのは、政治家の世界も同じである。その世代の少ない政治家がこの8月も、戦争について語っている。それを心に受け止めるか、もう時代が違うとするか。

  • 高市早苗首相のX(@takaichi_sanae)より
    高市早苗首相のX(@takaichi_sanae)より
  • 麻生太郎氏(2020年撮影)
    麻生太郎氏(2020年撮影)
  • 高市早苗首相のX(@takaichi_sanae)より
  • 麻生太郎氏(2020年撮影)

元首相、元自民幹事長が語った「不戦の誓い」

   かつての自民党のリーダー2人が、BS日テレ「深層NEWS」に登場して戦争を語った。

   古賀誠氏(86)は自民党の元幹事長、日本遺族会会長を務めた人である。2026年8月19日の番組でこう語っている。

「戦争はわれわれの理屈を超えた世界だ。戦争だけはだめよ、やってはならない国であってほしい」

   福田康夫元首相(90)も、同番組の16日のインタビューで語っている。

「われわれに課せられた命題は、戦争は絶対起こさない。それを達成するために外交を駆使するとか、国力をつけるとか、準備しなければいけない」

古賀氏、父の遺骨の代わりに拾った小石を持ち帰って仏壇に

   古賀氏は開戦前年の1940年に生まれた、終戦記念日の後で父親戦死の知らせを聞いた。自民党幹事長を引き継いだ野中広務氏に背中を押され、2003年に初めて父の部隊が全滅したレイテ島のジャングルに赴き、慰霊した。父の遺骨の代わりに拾った小石を持ち帰り、自宅の仏壇に納めてある。

   古賀氏は、戦後世代の議員への警告として、「例えば『強い国』とは、何を誇れる国なのか。歴史を深堀りして考える必要がある」と繰り返し語っている。

   福田氏は父の赳夫・元首相と日本占領下の南京に移住した後、群馬県に戻った小学生9歳の時に終戦を迎えた。「軍国主義教育」が「民主政治」に逆転する「大変化に衝撃を受けた」と話している。

   高市首相は2026年8月15日の全国戦没者追悼式で、2025年に石破首相(当時)が13年ぶりに復活させた「反省」を使わず、「戦争の惨禍を、二度と繰り返さ『せ』ない」と、わざわざ「せ」を入れた。これについて、福田氏は「違和感がある。ふつうの日本語でしゃべってほしい」と言っている。

戦中生まれの国会議員は麻生太郎氏ら5人となった

   「戦中生まれ」の国会議員は、麻生太郎・自民党副総裁(85)ら5人だけ(712人のうち)となった。最年少の森山裕・前幹事長(81)が、「平和への想い」を語り始めた。(8月16日日テレNEWS配信)

   終戦4か月前の1945年4月8日、鹿児島県鹿屋市の錦江湾に面した高台にあった防空壕で、森山氏は生まれた。この日は、対岸にある鹿児島市に米軍が大規模な空襲をかけた。戦争末期には、鹿屋市にある3つの飛行場から、日本最多の特攻隊員が出撃した。

   この夏の地元集会でも森山氏は当時の話を語っている。

(ジャーナリスト 菅沼栄一郎)

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