「日常は音楽と共に」  クラシック音楽の代表的な形式
そして作曲家を困らせた「交響曲」

シューベルトは交響曲が少し苦手だった

    上記2つの系譜以外にも、ベートーヴェンの活躍した「音楽の都」ウィーンでは、また別の系譜がありました。ベートーヴェン崇拝を明らかにし、その葬式に出たことが原因で自らも早死にしたといわれるシューベルトや、その後時代が下ってブルックナーやマーラーといった「交響曲作曲家」が現れるのです。この人たちは、ベートーヴェンの作り上げた巨大な交響曲という器を、形式的な形を変えすぎずに、どうやって発展させようかと悩む人たちでもありました。シューベルトは、敬愛するベートーヴェンの交響曲的世界に挑みましたが、本質的に歌曲や室内楽の佳作を生み出すメロディー作成能力に長けていた一方、巨大な音楽構造物である交響曲は少し苦手だったらしく、「未完成」という、終楽章を持たない交響曲も生み出してしまいます。ドイツ出身ではあるが、ウィーンで活躍して、フランス語もある程度できた国際人ベートーヴェンの人間的思想・・・彼は驚くほど進歩的知識人で、決して同時代の貴族たちにも卑屈な態度をとらなかったことで有名です・・・を、ウィーンからほとんど出たことのなかったシューベルトは、哲学的思想で上回ることは難しかったのかもしれません。

    ロマン派の時代に入り、伝統的な楽章の形態をとらず、文学作品を背景とする「交響詩」というジャンルがリストによって登場し、一方、人々の日々の音楽の消費は芝居と音楽の融合である「オペラ」が中心である時代がやってきました。ところが、ここにブルックナーとマーラーという2人が現れます。彼らは熱心なワーグナー・ファンでしたが、ワーグナーが見向きもしない純粋管弦楽作品である「交響曲」のジャンルに果敢に挑むのです。

    もちろん、彼らの前にも、当然ベートーヴェンの残した交響曲は立ちはだかります。(次回につづく)

本田聖嗣


本田聖嗣プロフィール

私立麻布中学・高校卒業後、東京藝術大学器楽科ピアノ専攻を卒業。在学中にパリ国立高等音楽院ピアノ科に合格、ピアノ科・室内楽科の両方でピルミ エ・ プリを受賞して卒業し、フランス高等音楽家資格を取得。仏・伊などの数々の国際ピアノコンクールにおいて幾多の賞を受賞し、フランス及び東京を中心にソ ロ・室内楽の両面で活動を開始する。オクタヴィアレコードより発売した2枚目CDは「レコード芸術」誌にて準特選盤を獲得。演奏活動以外でも、ドラマ・映画などの音楽の作曲・演奏を担当したり、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」や、インターネットクラシックラジオ「OTTAVA」のプレゼンターを 務めるほか、テレビにも多数出演している。日本演奏連盟会員。


出典元:週刊「日常は音楽と共に」
https://www.j-cast.com/trend/column/nichijou/

Just ear Just ear