「日常は音楽と共に」 モーツァルトの故郷が通称に 「ザルツブルク・シンフォニー」はイタリア風味

ザルツブルクとはあまり関係のない曲だった

ゲトライデ・ガッセのモーツアルトが誕生した家は現在博物館として観光名所になっている
ゲトライデ・ガッセのモーツアルトが誕生した家は現在博物館として観光名所になっている

   父レオポルドの計画によって、13歳から音楽の本場であるイタリアに大旅行をしてさまざまな音楽を吸収し、また現地の音楽家から教えを受けたモーツァルトは、16歳の時点で十分にイタリアの音楽を自分のものとしていました。それまでは、どちらかというとドイツ的で、J.S.バッハなどの先人が使った「対位法」的な技法を駆使して曲を書くことが多かったモーツァルトですが、これらの曲に関しては、メロディーのヴァイオリンをなによりも優先し、他の楽器を「伴奏役」に徹させて、わかりやすく、聞きやすい曲としています。また、ザルツブルクは「北のローマ」と呼ばれたように、宗教的にローマに近く、イタリア風の街並みを持つ都市ではありましたが、やはり「ドイツ語圏」の町で、文化的にはドイツ風なところがあり、音楽の趣味もイタリアとは趣が異なっていましたが、モーツァルトのこの曲たちは、「イタリアン・スタイル」で書かれています。優美で、洗練されていて、快活で、聴きやすいのです。

   わずか16歳という若さでこの曲を書きあげたモーツァルトの磨かれた才能は、後の代表作となるオペラや、人々に長く愛されることとなった数々の交響曲や協奏曲を作り上げる作曲家の基礎となったのは間違いありません。

   というわけで、この曲は、実は「イタリアン・スタイル」であり、ザルツブルグで書かれたことには間違いないものの、彼の才能を発揮するには小さすぎるこの古都とはあまり内容的には関係のない曲であり、もともと彼と彼の音楽仲間で演奏されることを想定していたらしいこの曲は大人数で演奏する「シンフォニー」でさえありません。さらには、この曲の正式曲名として伝わっている「ディヴェルティメント」というタイトルも、楽譜に後世に誰かが書き足したということが現在では確定的になっています。天国のモーツァルトが聞いたら、「ザルツブルク風」でもなく「シンフォニー」でもなく「ディヴェルティメント」でもない構想のもとに作ったこれらの曲が、このようなタイトルで呼ばれていることを少し不本意に思うかもしれませんが、人を楽しませる、ということにおいて超一流だった彼は、すぐに思いなおして、「みんながそういうタイトルでこの曲を楽しく聞いてくれたらいいや!」と言うような気がしてなりません。

   秋のすがすがしい天候のもとで聴きたい、モーツァルトの快活な名曲たちです。

本田聖嗣


本田聖嗣プロフィール

私立麻布中学・高校卒業後、東京藝術大学器楽科ピアノ専攻を卒業。在学中にパリ国立高等音楽院ピアノ科に合格、ピアノ科・室内楽科の両方でピルミ エ・ プリを受賞して卒業し、フランス高等音楽家資格を取得。仏・伊などの数々の国際ピアノコンクールにおいて幾多の賞を受賞し、フランス及び東京を中心にソロ・室内楽の両面で活動を開始する。オクタヴィアレコードより発売した2枚目CDは「レコード芸術」誌にて準特選盤を獲得。演奏活動以外でも、ドラマ・映画などの音楽の作曲・演奏を担当したり、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」や、インターネットクラシックラジオ「OTTAVA」のプレゼンターを 務めるほか、テレビにも多数出演している。日本演奏連盟会員。


   出典元:週刊「日常は音楽と共に」https://www.j-cast.com/trend/column/nichijou/

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