タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」松田聖子と松本隆
歌いこなした青春の輝き

「赤いスイートピー」のコンビ

   もし、それぞれの作家やミュージシャンが自分の場所で戦う事で精一杯だったのが70年代だとしたら、一つの土俵、あるいは舞台で共に戦うことが出来るようになったのが80年代だったと言っていい。

   その代表作が81年の大瀧詠一のアルバム「A LONG VACATION」。はっぴいえんど解散後、自分のレーベル、ナイアガラレーベルで苦闘していた70年代の大瀧詠一がバンド解散後、初めて松本隆に作詞を依頼したアルバムは、J-POPの金字塔として、ポップスの巨人・大瀧詠一を世に知らしめるきっかけになった。

   再び復活した松本・大瀧コンビで手掛けた松田聖子の最初の曲が、81年の7枚目「風立ちぬ」だ。財津和夫、松任谷由実、細野晴臣、原田真二、南佳孝、来生たかお、甲斐祥弘、佐野元春、玉置浩二ら、それまでアイドルには縁のなかったシンガーソングライターが松本隆の詞に作曲者として腕をふるうようになっていった。

   中でも数々の名曲を残しているのが呉田軽穂というペンネームで参加していた松任谷由実だった。松本隆・呉田軽穂というクレジットが最初に使われたのが82年に出た8枚目「赤いスイートピー」だ。二人のコンビというだけでなく松田聖子のキャリアの中でも最も人気のある一曲だろう。"知りあって半年、手も握らない気弱なあなた"の存在が議論の的になった曲でもある。81年、警察白書で中高生の検挙、補導が最も多かった年。"荒れる教室""女子高生の性体験の低年齢化"がメディアを賑わしていた。

   筆者は、今、スタジオ・ジブリの機関誌「熱風」で「風街とデラシネ~作詞家・松本隆の50年」という連載を書いている。その時のインタビューで彼は、「週刊誌などでセンセーショナルに面白おかしく語られることへのアンチテーゼ、本当にそうなんだろうかと思って書いた」と話していた。

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