今回のテーマは「バカ正直と正直・誠実のあいだ」です。自己PRについては以前にも触れました。採用担当者は正直に答えてほしい、とよく話します。では、どこまで正直に話せばいいのか。そうしたご質問を学生からよく受けます。私の答えは、「正直・誠実に答えること、でも、バカ正直はダメ」禅問答みたい?今回はそれを解説していきます。どす黒い話も含めるのが「バカ正直」「正直・誠実に答えること、でも、バカ正直はダメ」「正直・誠実」と「バカ正直」の違い、それは、どす黒い欲得も含むかどうか、と私は考えます。どす黒い欲得、とは、おどろおどろしいですが、学生の場合は、「就職せずに楽して稼ぎたい」これでしょう。そりゃ、それができれば一番です。学生に限らず、社会人だって同じですよ。私だって、1日に何千字だか、何万字だか、頭の中がごちゃごちゃになるくらい、原稿を書くよりも、広―い温泉で足を伸ばしながら浸かって、風呂あがりにビール飲んでひっくり返って(以下、妄想が長くなるので略)という生活の方がいいに決まっています。実際には、そう簡単に行くわけもなく、だからこそ、みんな働くわけです。で、こういう話、「そりゃそうだけどさあ」でそこから先、続かないと思いません?自己PRでもなんでもなく、誰もが思うどす黒い欲得に過ぎない話です。そこまで含んでも、全く意味がない、これが「バカ正直はダメ」という意味です。「正直・誠実」は「ちょっと誇れる自分」では、「正直・誠実」とはどういうことでしょうか。それは自分にも向けられるものです。もっと言えば、ちょっと格好いいかどうか、あるいは自分で自分を誇れるかどうか。たとえば、私の場合、この連載にしろ、他のコラムや本にしろ、いつも、「正直・誠実」であろうとしています。が、「バカ正直」には書いていません。「バカ正直」であれば、温泉でビールとか、どす黒い欲望が延々と書いてあるだけ。でも、それって他人に誇れます?「今度さあ、就活コラム書いたけど、その中では自分に正直に『温泉でビール飲んで楽したい』という話、書いてあるから読んでね」と、勧められます?この連載や私の就活関連本を読む学生・社会人の方は、就活の情報を引き出そう、として読んでくれるはずです。そこに、温泉でビールがどうした云々なんて内容は、まあ、あり得ないですよね?まして、それを誇らしげに言うなんて、もっとあり得ません。では「正直・誠実」とは、どういうことか。私の場合だと、「就活のことを丁寧に調べて、それを分かりやすく伝えたい」というものです。いつもこれを意識しています。読者は貴重なお金と時間(ネット連載なら時間のみ)という代償を払って読んでくれるのだから、読者のためにも「正直・誠実」でありたい、心からそう思います。その思いで原稿を書いていますし、だからこそ、自信をもって他人に勧められるわけです(売れているかどうかはともかく)。これは学生も同じです。学生生活に誇れることがない、と思い込んでいても、それはそれです。社会人になって、「こういう仕事をしている」と誇れる自分をちょっと想像してみてください。どんな社会人になりたいのか、「バカ正直」の部分を抑えていけば、色々と見えてくるはず。そして、性格検査などでは、ある程度背伸びして、かつ、なれそうな自分を想定してみながら回答してみてください。たとえば、暗い性格と自覚していても、ちょっと頑張ればどんな仕事ができそうか。もちろん、企業や働き方への知識や見聞などがなければ机上の空論ですよ。だからこそ、セミナーなどの参加を勧めているわけで。そのうえで、背伸びしたらどんな仕事ができそうか考えながら回答してみてください。それが「バカ正直でなく正直」ということです。「期待する学生像」と「企業の求めるもの」は同じでない?こういう話をすると、学生からは、「企業が期待する学生像、人物像に沿ったアピールをすればいいですか?」との質問が出てきます。が、それは違います。企業が期待する学生像、人物像は、虚像、すなわち、「こういう学生いればいいけどね。まあ、めったにいないけどさ」程度。全部に当てはまる必要などありません。ただ、企業が新卒採用で求めるものは共通しています。それは、「うちの会社に入ったら、頑張ってくれるだろう」という見込みです。この見込みがあるからこそ、資格も特技も入賞経験も何もない、平凡学生がいくらでも内定を貰えることになるのです。もちろん、企業が言うところの、「頑張ってくれる」の中身が派手な仕事か、地味な仕事か、それは学生によっていくらでも変わります。だからこそ、就活・新卒採用は混沌とするわけで。学生のみなさんは、性格検査では「ちょっと背伸びした自分」を想像しながら回答し、自己PRではどんな社会人になりたいか、ということを意識しながらまとめていくといいでしょう。そして、根本には、企業側の「頑張ってくれるだろう」という期待感があることをお忘れなく。社会人だって間違える「バカ正直」の落とし穴ところで、この「バカ正直」と「誠実・正直」の違い、社会人でもときどき間違えてしまいます。これが間違えてしまうと、とんでもない落とし穴にはまることに。たとえば、1月26日(2015年)配信記事の日刊ゲンダイで「ファンは呆然・・・沢田研二がライブでブチ切れ『嫌なら帰れ!』」との記事がありました。記事によると、1月20日のコンサートで集まったファン5000人が期待していたかつてのヒット曲は歌わず、新曲ばかり。しかも、2時間近く歌ったあとのトークでは、なぜか日本人人質事件の話題に。「自説をとうとうと述べるジュリーに、客席から「歌って~!」という黄色い声援が・・・。すると、その声に反応したジュリー。間髪入れずにステージ上から、『黙っとれ! 誰かの意見を聞きたいんじゃない。嫌なら帰れ!』と怒鳴りつけたというのだ」沢田さんからすれば、政治問題などを語りたい、という思いは本物であり、だからこそ、トークで日本人人質事件にも触れたのでしょう。しかし、そうした思いが本物だったとしても、それは「バカ正直の壁」なんです。お金を払って集まった多くのファンからすれば、沢田さんの歌、それも昔のヒット曲を聞きたかったのです。それが、ヒット曲はなし、しまいには政治についてのトークとは期待外れもいいところ。政治問題を語りたいなら、そうした集会で話すか、最初から「コンサートではありますが、政治についてのトークもします」と断るべきでした。それでもなお聞きたい、というファンがいれば、それは問題ありません。ですが、特に断ることもなく、お金を取って、期待を裏切って政治についてのトークとは、誠実さに欠ける、と言われても仕方ないのではないでしょうか。だからこそ、批判的な記事が出てしまうわけで。沢田さんに限らず、社会人でも「バカ正直さの壁」にぶつかる人は大勢います。どうも、周囲が見えていない人が多いような気もします。学生の皆さんには、こうした社会人を見習うことなく、「正直・誠実に答えること、でも、バカ正直はダメ」の意味を理解して、ぜひ気を付けていただきたいものです。(石渡嶺司)
記事に戻る