2021年 6月 23日 (水)

「箱根駅伝」はなぜ「国民的イベント」になったのか 読売新聞がみせた「選択と集中」

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「箱根駅伝」を全国区に押し上げる!

   当時、読売新聞は青森と東京までを駆け抜ける「青東都道府県対抗駅伝」を主催していたが、交通事情の悪化で年々開催が困難になっていた。同じ理由で、深くかかわる箱根駅伝も存続が困難になるかもしれないという危機感を持っていた。

   そこで、新たなる駅伝を立ち上げようとした。社主の正力松太郎氏が富山県出身なので、「能登」は場所的にも好都合だった。

   つまり、読売新聞が主導したことで、「能登」は成立した。当時の決算書を見ると、300万円余りの事業経費のうち約半分を読売新聞が負担していた。

   こうして「能登駅伝」は軌道に乗るかに見えたが、オイルショックなどによる日本経済の苦境が大会を直撃した。読売新聞は補助金を削減して撤退の方向へ。最大のスポンサーを失ったダメージは大きく、大会は77年にピリオドを打った。

   一方、「能登駅伝」よりも先の1974年に、「青東駅伝」は終わっていた。読売新聞は必然的に「箱根」に力を入れることになる。「青東駅伝」「能登駅伝」を見切って、「箱根」に注力したということになる。

   よく知られているように、マラソンや駅伝はテレビ中継で広告が集まるかどうかが生命線だ。広告代理店がテレビ中継のメーンスポンサーを見つけてきて、テレビ局や大会主催者にドカンと金を落とす。その金で全体が運営され潤う。そのために主催メディアも「コンテンツ」をとことんPRする必要がある。

   「関東ローカル」だった大会を「全国イベント」として定着させたのは、選択と集中に踏み切った読売新聞・日本テレビのビジネス戦略が成功した結果だといえる。社員の年始の休みも吹っ飛ぶわけだから、当時の経営陣としては相当大きな決断だったと推測できる。

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