所詮はバンカー経営者 東芝・車谷前社長はなぜ引き際を誤ったのか?(大関暁夫)
車谷氏が東芝の「社長」にしがみついたワケ?
ましてや東芝は、重厚長大事業からエネルギー、最先端技術までとんでもなく幅広い事業分野で、業界のフロントランナーを務めるべく走り続けているわけであり、車谷氏がいかにメガバンクの中枢で幾多の修羅場をくぐり抜けてきているとしても、所詮は銀行一筋のバンカー経営者です。しかも銀行を出て投資ファンドの会長というノンテクノロジー業務オンリーの職務経歴からは、日本を代表する大手製造業という舞台で、再生請負人以上の仕事を期待すること自体に無理があると思うのが正論ではないでしょうか。
車谷氏が東芝に招聘された時期や経緯を踏まえれば、財務の再建請負人として呼ばれたことは明白であったはずです。当初のミッションを貫徹できたからといって、バンカーが東芝のトップとしてこの先も巨大組織を率いていけるなどと思うのは、思い上がりも甚だしいと言われても仕方のないところでしょう。
業績を回復させながら、2020年の株主総会で半数近くの株主から「続投NO」を突き付けられた段階で、それはなぜなのかと冷静に考え、あるべき身の振り方を理解して、遅くも東証一部復帰を機に、年度末限りでの勇退を決意すべきだったと思うのです。
では、車谷氏にそれをさせなかった理由は何か――。合併行の三井住友銀行のトップ競争に敗れた、エリート銀行員の「見返し願望」という悲しい性(さが)ではなかったかと。単なる再建請負人ではなく東芝という世界に冠たる大企業の「真のトップ」として出身行を見返したかった、という個人的な思いから自らの分を超えてしまったバンカー経営者の悲哀を、私は感じました。
車谷氏欠席のまま開かれた会見席上で、CVCの提案は永山治取締役会議長から「内容が乏しく」「唐突であり」「現時点では評価できない」と切り捨てられる、あまりに無残な対応でした。経営者が「分」をわきまえることの大切さを、改めて思い知らされた一件でした。(大関暁夫)