消えるコメ先物取引 「聖域を守れ」と農水省に「圧力」をかけた? 本上場反対派の顔ぶれ

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   日本で唯一のコメ先物取引が消滅することになった。

   コメ先物取引は、大阪堂島商品取引所が「試験上場」していたが、「本上場」を農林水産省が認可しなかったためだ。国内外で当たり前に行われている商品の先物取引だが、日本の農業、とりわけコメに限っては「聖域」として先物取引が入り込む余地はないようだ。

  • コメ先物取引が消える(写真はイメージ)
    コメ先物取引が消える(写真はイメージ)
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コメ先物、江戸幕府公認の「堂島米市場」が発祥

   先物取引は、将来の決まった期日に、商品を「いくらで売買する」とあらかじめ約束をする取引。たとえば夏の現時点で、秋に収穫する作物を10月1日にいくらで売買すると約束する。その期日前に豊作で相場現時点の想定より下がっていても、農家は時価より高く売れる。逆に台風被害などで相場が上がっても、時価より安い代金しかもらえない。

   天候などによる相場変動の影響を回避できる「リスクヘッジ」が大きな目的だ。ただし、先物取引が実態を離れて拡大し、「投機」として逆に現物の相場に影響し、生産者や消費者に被害を与える可能性もある。

   コメ先物は大阪の堂島にとって、特別なものだ。江戸時代に各地の年貢米が大阪に集まり、1730年代に幕府公認の「堂島米市場」が、世界に先駆けて先物取引を始めたとされる。明治維新後も途絶えることなく続いたが、第2次世界大戦に向けて統制が強まり、1939年に取引は廃止された。

   戦後も食糧管理制度の下でコメ取引の統制が続き、食管制度廃止後も自民党政権では先物の道は開けなかった。そして2011年、旧民主党政権下でやっとコメ先物の試験上場が始まったのだ。

   ただ、取引はなかなか増えず、2年の期限を迎えるたび、試験上場が4回延長され、2011年8月7日が期限になっていた。

   今回、堂島商取は、「試験上場の延長はもうしない」と、いわば退路を断って本上場を申請していたが、農水省は2つの基準に照らし、条件を満たさないと判断した。8月7日で取引は終了し、すでに成立している取引が終わる22年6月以降は売買できなくなる。

本上場に明確な基準なし!

   農水省は本上場の条件として、(1)十分な取引量が見込めるか(2)生産・流通を円滑にするために必要かつ適当か――を判断基準に設定。堂島商取は(1)について、売買高が前回の試験期間の2.8倍に増えたと主張。(2)は、要するに取引への参加者数の問題で、堂島商取は参加者が同じく172から175となり、うち生産者は62から66に増えたことなどを訴え、本上場の認可を求めた。

   農水省は、過去には(1)を理由に本上場を認めなかったが、今回は(2)について、生産者の参加の広がりが不十分だと指摘し、認めない理由とした。堂島商取が(2)を理由として説明されたのは今回が初めてという。いずれにせよ、(1)(2)とも、明確な数値基準があるわけではなく、農水省の裁量による不認可といえる。

   本上場が認められなかったのは、農協と自民党農林族が強硬に反対してからだ。

   堂島商取が正式手続きとして、7月に本上場を農水省に申請したが、ここから族議員が一気に動き始めたとされる。7月20日の自民党農水族の幹部が非公式に集まり、本上場に反対する方向を確認、党農林・食料戦略調査会などの議論を経て、8月4日、農水省に対して本上場は「慎重に判断」するように申し入れた。事実上の本上場反対を打ち出したものだ。

   農林族の動きの背後にいるのが農協(JA)だ。

   コメは卸売市場で自由に値が決まる野菜などと異なり、農家、農協と卸売業者の相対取引が中心。JAが流通の5割を押さえ、価格決定の主導権を握っている。JAは小規模農家にも配慮し、安定した価格形成を図る。これまでの先物の取引では現物に影響を与えるレベルにははるか及ばなかったが、将来的に先物取引が活発になり、市場メカニズムをより価格に反映するようになるのは、ただでさえ消費が長期低落傾向の中、価格低下=農家の収入減少につながるのを恐れているのだ。

   堂島商取の中塚一宏氏は、農水省とは本上場申請に向け事前にすり合わせており、手応えを感じていたという。本上場の基準に達しないとの農水省の判断に中塚氏は「恣意的だ」などと反発したが、JAの理解を得るに至らず、一敗地にまみえることになった。

看板商品を失った「堂島取引所」の将来設計

   コメの価格決定のありかた、さらに堂島商取の先行きはどうだろう――。自民党の調査会は先物反対を申し入れた際、JAグループも参加したコメの現物取引市場の創設の検討も求めた。それも含め、先物市場が消滅したこの先、どのような価格決定の仕組みになっていくのか、まだ先は見えない。

   他方、堂島商取は取引の9割を占めるコメ先物がなくなり、市場としての存亡の瀬戸際と思いきや、案外余裕を見せる。2021年3月期の収入は4億円、うち半分は保有不動産の賃貸収入が占め、コメ先物がなくなっても「経費も減るので問題ない」(同社)というのも強がりではないだろう。

   何よりの「強み」が、SBIホールディングスという後ろ盾を得たことだ。北尾吉孝社長率いる金融グループで、最近では、経営不振の地銀に出資して独自の地銀グループを組織し、経営立て直し支援と新たな金融サービスの展開を目指す動きが注目されている。

   堂島商取は21年4月に会員組織から株式会社へ移行した。この際、SBIグループが20億円を出資し、3割超の議決権を握った。中塚氏もSBIから送り込まれており、北尾社長の「総合取引所化」の構想に沿って、8月10日付で社名も「大阪」「商品」を抜いて「堂島取引所」になった。

   今後、22年3月期中に金先物の取引を始め、他の貴金属や金融派生商品(デリバティブ)など品揃えを広げていく方針で、さらに温暖化対策に絡む炭素の排出権取引にも意欲を見せるなど、商品を増やしていく考えだ。

   とはいえ、「堂島=コメ先物」のブランドにかかわる看板商品を失い、SBIの思惑どおりに進むかは見通せない。(ジャーナリスト 岸井雄作)

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