2024年 4月 27日 (土)

水害を防ぐ名言が日本各地に残っている【防災を知る一冊】

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   9月1日は「防災の日」。1923(大正12)年9月1日に関東大震災が起きてから、もうすぐ100年になろうとしている。また、近年は9月に大型台風が上陸したり、長雨が続いたりして、各地で風水害も発生している。9月は防災、自然災害、気候変動、地球温暖化をテーマにした本を随時、紹介していこう。

   昨年(2020年)7月3日から31日にかけて、熊本県を中心に九州や中部地方など日本各地で発生した集中豪雨は、「令和2年7月豪雨」と命名された。球磨川水系が氾濫・決壊し、64人が亡くなるなど、熊本県の被害は特に甚大だった。また、2019年9月には台風15号が関東地方に上陸、千葉県が打撃を受けた。近年増えている風水害に備えるには、どうしたらいいのか――。

   本書「治水の名言」」のサブタイトルは、「水災害頻発、先人の知恵に学ぶ」。いったい、どんな名言があるのだろう?

「治水の名言」(竹林征三著)鹿島出版会
  • 「治水の名言」が現代に伝えることとは……(写真は、新潟市内を流れる信濃川)
    「治水の名言」が現代に伝えることとは……(写真は、新潟市内を流れる信濃川)
  • 「治水の名言」が現代に伝えることとは……(写真は、新潟市内を流れる信濃川)

古くから伝わる「水害」をめぐる名言

   著者の竹林征三さんは、京都大学工学部土木工学科卒、同大学院修士課程を修了し、1969年旧建設省(現国土交通省)に入省。琵琶湖工事事務所長、土木研究所ダム部長、環境部長などを歴任。現在、富士常葉大学名誉教授。工学博士、技術士。著書に「環境防災学」「物語 日本の治水史」などがある。

   水害大国の日本。古くから水害について、さまざまな名言がつくられてきた。竹林さんは「歴史書よりも伝説のほうが真実を伝えていると感じる場合が多い」という。歴史書には事故や失敗の記録があまり残されていないからだ。そして、名言に注目して、日本の治水の歴史をまとめたのが本書だ。

   「平家物語」の巻一には白河法皇が「賀茂川の水、双六の賽、山法師、是ぞ、わが心にかなわないもの」と嘆いたという逸話がある。古来氾濫を繰り返す暴れ川として知られた加茂川・鴨川がもたらす水害には打つ手がないという意味だ。

   各地にさまざまな名言が残っている。たとえば、滋賀県の瀬田川には「左岸の大日山を切ってはならぬ」として、行基が大日山を御神体とした。切れば祟りがある、切れば上流は助かるが下流は洪水被害が頻発することになる、と戒めたのだ。

   また、佐賀平野の低平地部に残る、「カンスのツルは切ってはならない」も同様だ。「カンスのツル」とは、鉄瓶のグルっと丸い取手で、大きい蛇行の連続を指している。蛇行部が塩水の遡上を食い止めているので、これを切れば取り返しのつかない大変な塩害が起こるので、ショートカットを戒めている。

武田信玄の甲州流治水法

   戦国時代の武将、武田信玄は治水に関してさまざまな名言を残している。富士川は日本最高峰の富士山や南アルプスの北岳を水源として、日本で一番深い湾・駿河湾に駆け下る急流河川である。

   甲府盆地は水害の常襲地帯であり、武田信玄は甲州流の治水法を編み出した。ひと言で表現すれば、河川の流勢を利用して河川を制する。「水を以て水を制する」知恵である。

   暴れ川の御勅使川と釜無川の合流点を上流の断崖の高岩へ移し、激流を衝突させることでエネルギーを減殺。その後、相当弱められた洪水を霞堤といわれる不連続堤防で逆流させ、一時的に貯留、洪水位が下がればもとに戻す、合理的なシステムをつくった。

   霞堤とは、堤防を連続して築かず、不連続でしかも一部重ね合わせるようにした堤防だ。世界でも類を見ない、信玄の独創だ。

   また、加藤清正も「治水五則」を残している。現代語風にこう紹介している。2つ抜粋しよう。

・水の流れを調べるとき、水面だけでなく底を流れる水がどのようになっているのか、特に水の激しく当たる場所を入念に調べよ。
・堤を築くとき、川の流れの近いところに築いてはいけない。どんなに大きな堤を築いても堤が切れて川下の人々が迷惑する。

   言葉だけでなく、河道の付け替え分流の知恵「背割り石塘」、河川から用水を取り入れる斜めに横断する斜堰、土砂流を堆積させずに流す「ハナグリ井手」など、独創的な技法を残しているという。

200年がかりで実現した信濃川の分水

   新潟県の信濃川下流は洪水の常襲地帯だった。江戸時代から放水路を開削する陳情が行われてきたが、なかなか実現しなかった。地元の地理学者・思想家の小泉蒼軒は、信濃川の水害は細分化した領地政策・小藩割拠のもとの乱開発が原因であり、「惣郷一致」、つまり信濃川水系一体としての治水をするべきであるとし、「水は低いところに向けて流れる。流れるままに逆らわなければ害とならない」と主張した。

   明治になり大河津分水の工事が始まったが、中断。13年かけて大正11(1924)年にようやく通水した。構想からじつに200年後にようやく実現した。だが、通水後すぐ昭和2(1927)年6月にゲートが陥没する大事故が起こった。当時の内務省の大失態であり、東京の荒川放水路建設の立役者・青山士らが補修工事に当たった。その竣工記念碑の言葉を紹介している。

「万象ニ天意ヲ覚ル者ハ幸ナリ 人類ノ為メ 國ノ為メ」

   万象とは、6つの風土、地圏、水圏、気圏、生物圏、歴史文化・神話伝説、活力圏・産業・社会基盤だと竹林さんは解釈している。万象をよく調べ、それと調和するように設計してほしいという意味が込められている。エスペラント語も付記されているのは、誤った判断をしたお雇い外国人と先輩技師への批判が込められている、と竹林さん。

   本書を読み、水にまつわる、さまざまな名言があることがわかった。日本列島には豪雨、台風など9つの難があるという。苦難にどう立ち向かうのか。亡くなった作詞家・永六輔さんの言葉を紹介している。

   「地震も台風も洪水も。あらゆる自然災害は地球が生きている証拠です」。そして名言だとも。自然災害はなくならない。いかに被害を小さくするか、その知恵が求められているということだろう。(渡辺淳悦)

「治水の名言」
竹林征三著
鹿島出版会
2420円(税込)

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