2024年 4月 25日 (木)

ロッテはなぜ業界トップになったのか? 一代で巨大企業グループ築いた男の猛烈な人生

いかにして「ハリス」に勝ったか?

   その後、石鹸、ポマード、化粧品から、ガムの製造に切り替える。

   そして1948年、株式会社ロッテが誕生した。

   1950年代、ガムの大手といえば、大阪のハリスだった。ロッテでは入手困難だった天然素材のチクルを原材料に採用したのに対し、ハリスは合成樹脂のGPチクルを使っていた。これが強みとなる。ロッテはそれまでの2倍の20円で「スペアミントガム」を発売、売上を伸ばし、やがてハリスを凌駕した。

   松崎氏は、合成樹脂ではなく天然チクルを使った「本物」感が勝因になった、と見ている。その後、チョコレートにも参入する。スイス人技術者を引き抜き、「どんなに原価が高くなってもいいから、あなたがスイスで作ったチョコレートよりもっと良い製品をつくってほしい」と言い渡したという。

   それが1964年登場した「ロッテガーナミルクチョコレート」だ。赤いパッケージで登場した、その製品のインパクトは強烈だった。3番目の柱となるキャンディ、その次がアイスクリーム、さらにビスケットと、多彩な商品展開が続いた。

   「ロッテは2~3年ごとに新しいアイテムに挑んで、新たな生産拠点を立ち上げ、事業領域を拡大していった」と本書にある。

   製品の季節性を打破するような新製品の企画力もユニークだ。アイスクリームは夏という常識を覆す、「雪見だいふく」という、冬こそ食べたくなるようなネーミングの商品がその例だ。

   「マーケティングの鬼才」だった重光。「お口の恋人」は創業から70年を経たいまでも、親しまれているフレーズだ。「企業経営はマーケティング活動そのものである」というのが、重光の強固な意志だった、と書いている。

   本書を読み、マーケティングの強さもさることながら、品質を追求する「本物」志向が消費者に支持されたのではないか、と思う。菓子はおいしくなければ、二度と同じ商品を買うことはないからだ。

   韓国に進出し、いまや日本をはるかに上回る規模になった韓国ロッテグループの急成長の秘密、重光と日韓の政財界人とのかかわり、また、晩年に起きた家族の内紛に関心がある人は本書を読んでもらいたい。たっぷりと書かれている。重光が亡くなったのは、2020年1月19日。まもなく2年になる。久しぶりに本格的な経済人の評伝を読んだ気がする。

「ロッテを創った男 重光武雄論」
松崎隆司著
ダイヤモンド社
1980円(税込)

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