2022年 5月 23日 (月)

「さんさ踊り」が繋ぐ岩手との絆 感謝の思い込めて舞う日を待つ【震災11年 あしたへ】

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   2011年3月11日14時46分――。未曽有の地震と津波が東北地方の太平洋沿岸を襲った。「なんだ。これは......」。東京でさんさ踊りを伝承する「大江戸さんさ」代表の長谷川淳(はせがわ・あつし)さんはテレビ画面から、ぼう然と見ているしかなかった。

   東北地方は祭りの宝庫だ。被災地、岩手県には「盛岡 さんさ踊り」がある。青森県のねぷた祭りや宮城県仙台の七夕まつり、秋田県の竿灯、山形県の花笠まつりに、福島県のわらじまつりや相馬野馬追まつりなどがそれだ。豪華絢爛、勇猛果敢。伝統を語り継ぐ人々がいる。

   長谷川さんは、煌びやかなさんさ踊りに魅せられ、この踊りを通じて岩手県の復興を、遠く東京から支えようと仲間と舞い続けている。東日本大震災から11年。この2年ほどはコロナ禍で観光PRのためのイベントは多くが中止を余儀なくされ、活動もままならないでいる。話を聞いた。

  • JR浦和駅構内で行われた「いわて産直市」で(2015年5月撮影)
    JR浦和駅構内で行われた「いわて産直市」で(2015年5月撮影)
  • JR浦和駅構内で行われた「いわて産直市」で(2015年5月撮影)

みんなと一致団結して、すべてを出し尽くして踊る

――さんさ踊りの魅力を教えてください。

長谷川淳さん「太鼓や笛、踊り、唄が織り成す一体感や躍動感、迫力がある群舞、男性的な力強さと女性的な優美さの共存、踊りの型があるものの敷居は高くなく親しみやすいところなどが魅力だと思います。また、どのパートも奥が深いので、上達するためにはたくさんの研鑽を積まなければならず、長年やっていても飽きることがありません。いち参加者としては仲間とともに練習を重ね、パレードでは一致団結して、すべてを出し尽くして踊る、そんな熱血を注ぐような祭りであることにも大きな魅力を感じています」
「震災後、岩手県の復興を支援のために踊りました」と語る長谷川淳さん
「震災後、岩手県の復興を支援のために踊りました」と語る長谷川淳さん

――東京でさんさ踊りを広めようと考えたきっかけを教えてください。

長谷川さん「偶然が重なりました。団体の立ち上げ当初(2007年)は、発起人(後の大江戸さんさ初代代表)がコネクションを作って参加できるようになった『うえの夏まつりパレード』に継続的に参加することと、その頃に新しく作られた『福呼踊り』を習得することが目標で、定期的に集まって練習したり、練習後の飲み会で語り合ったりと、少人数で同好会的な活動をしていました。その約1年後、岩手県から上野観光連盟(うえの夏まつりパレード事務局)に、JR上野駅で行われる『いわて・平泉観光キャンペーン』のプレイベントへの協力依頼があり、それを私たちが担当することになりました。
   イベントでは岩手から派遣された二人の『ミスさんさ』の方々と共演して、さんさ踊りを披露したのですが、同行されていた岩手県職員の方(伝統さんさの保存会に所属)から、さまざまなアドバイスをいただき、かつその後もたびたび出演の依頼をいただいたことが、一つの契機となりました。それまでは自分たちが楽しく活動できればと思っていましたが、出演を重ねるにしたがい、ご依頼いただいた気持ちに応えられるよう、見てくださる方々にアピールできるようにしたいという思いが出てきて、活動内容を見直していきました。
   もう一つの契機は、東日本大震災です。それまでの私たちの活動の記録(ブログ)が復興支援イベントの企画担当者の方々の目にとまり、多数の出演をさせていただくことになりました。私たちとしましても、復興支援に繋がるなら、という思いで可能な限り出演依頼をお受けし、精一杯PRさせていただきました。その頃から、岩手県やさんさ踊り、復興支援のPRをそれまで以上に意識するようになったと思います。また、出演が増えるにしたがって知名度もアップし、震災後は入会者数が一気に増えました。このような偶然が重なり、現在のような、東京でさんさ踊りを広める活動を行うことになりました」
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