2018年 10月 16日 (火)

The End of a History? ― 近代の黄昏(?)に近代化論の清華を再読する

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   ■『日本資本主義発達史』(野呂栄太郎著、岩波文庫)

   ■『日本資本主義分析』(山田盛太郎著、岩波文庫)

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   日本資本主義論争とは、1920年代後半から30年代におけるマルキスト陣営内の論争であり、もう90年ほど前の論争である。明治維新の歴史的位置付け、日本資本主義の性格をめぐって議論がたたかわされた。論争は陣営の戦術論と密接に絡み、明治維新をブルジョア革命と規定し、社会主義革命へと一挙に進むべきと主張する一段階革命論(労農派)と、維新を不徹底な革命とみなし、当面の焦点を封建的残存物に対する闘争と考える二段階革命論(講座派)の間で争われた。

日本は近代をどのように受け入れたか

   なかでも、講座派は日本資本主義の理解において独自の深みに達し、後世へ大きな影響力を持った。講座派の論客であった野呂栄太郎による『日本資本主義発達史』(1930年)は、維新が不徹底なブルジョア革命に終わった理由として、急速な産業革命のため政府の保護政策が必要とされたことや、「世界資本主義の自由主義より帝国主義への転向」と国内無産階級の台頭に対応するため、地主と商工資本家の間で妥協が成立したことをあげている。いずれせよ、結果的に農業における封建的生産様式が十分に揚棄されなかったことで、農民は「資本主義と半封建的土地制度との二重の搾取の下に」おかれ、窮乏化した。これに伴い、国内市場は狭隘なものにとどまり、日本資本主義は異常に初期段階から対外侵略性を持つことになったという。山田盛太郎による『日本資本主義分析』(1934年)も同様に、「日本における比類なき高さの半隷農的小作料とインド以下的な低い半隷奴的労働賃金」との相互規定関係が、日本資本主義の発展の絶対条件であったと論じた。高小作料が低賃金で働くことを止むを得ないものとし、低賃金が高小作料での耕作を受け入れさせ、小作人・労働者からの強度の搾取が可能となったというのである。

   こうして無理を重ね、封建制と資本制の雑種として立ち上がった日本資本主義であったが、総体的にみて日本は遅れた農業国のままであった。山田は、軽工業、重工業とも「先進国におけると日本におけるとの間の距離は自明である」と指摘している。低賃金故に「自分の発明した自動繰糸器械を使ってみたいが、日本の製糸業は工業として50 年以上遅れている」との報道を取り上げ、本格的な機械化による生産性向上の前で立ちすくむ、製糸業の姿を描いている。重工業は兵器生産と密接な関連をもつが故に、軽工業以上に政治的必要に基づいた産業創出が遂行された。しかしながら、「当時世界最大戦艦薩摩」の建造など一点豪華主義的な成果はあるものの、「その昇隆にもかかわらず、日本の製鉄業の規模の狭小さ」は明らかであると切って捨ててしまう。重工業の力不足は軍の機械化までも遅らせた。「(軍において)密集化の用法が行われ、夜間操作に重きが置かれているのは、仮想対象の顧慮にも依拠する所であるとはいえ、機械化の低位の然らしむる所にある」との指摘は、のちの対米戦の帰趨を知る我々の耳には、予言的な響きをもって聞こえる。

   このように無理に無理を重ねつつ、近代化の先頭に伍していこうとする日本の姿は、現代の我々からみても身につまされるものがある。現代を生きる我々にも直接訴えかけるものを持っている。両著はその現代性という正しい意味で「古典」の名に値するものである。

【霞ヶ関官僚が読む本】現役の霞ヶ関官僚幹部らが交代で「本や資料をどう読むか」「読書を仕事にどう生かすのか」などを綴るひと味変わった書評コラムです。

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