2018年 10月 20日 (土)

リベラリズム、崩れ去るのに任せるか、基礎からやりなおすか

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■『万民の法』(ジョン・ロールズ著、岩波書店)

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   『万民の法』(原著1999年、邦訳2006年、中山竜一訳)は、ロールズの晩年の著作であり、彼の理論を国際関係において展開したものである。『政治的リベラリズム』(1993年)以降の後期ロールズは、多様な意見が分裂する現実への適応をすすめ、「重なり合うコンセンサス」、「合理性」(the rational)と区別された「道理性」(the reasonable)の意義を強調するようになったのであるが、本書はその系譜に位置づけられる。本邦訳版には、『公共的理性の観念・再考』(1997年)が併収されており、これは未邦訳の『政治的リベラリズム』以降のロールズの様子を知る上でも貴重な邦語文献である。

後期ロールズにリベラリズムの行き詰まりをみる

   後期のロールズを特徴付けるのは、基礎付け主義からの撤退である。リベラリズムを普遍的なものとして基礎付けることはここでは断念されている。残された希望は、政治的なものとして、すなわち死をもって退出するほかない政治的共同体において、道理に適(かな)った人々であれば、たとえそれぞれの人の持つ包括的教説に違いがあっても、コンセンサスとするであろう幾つかの事柄に過ぎない。

「政治哲学における、人間の本性にかんする諸観念の一つの役割は、皆が同じ種類の理由を受け入れるよう、人々のことを標準的、または模範的なやり方で考えることにあった。ところが、政治的リベラリズムにあってわれわれは、神学的、ないし世俗的教説と同様に、こうしたたぐいの自然的・心理学的なものの見方も退けようと試みる。われわれは人間の本性についての説明を脇に置き、これに代えて、市民としての人格の政治的構想に依拠するのである」(『公共的理性の観念・再考』)

   本書には米国による原爆投下を批判するくだりがあり、本書を単なる現状追認の書とまでは言いたくないが、それでも、このように基礎付けを断念した議論が説得力を欠く楽観を呈しているようにみえるのである。

「正義に適った(ないしは、少なくとも良識ある)社会政策にしたがい、正義に適った(ないしは、少なくとも良識ある)基本的諸制度を確立することで、最もひどい形の政治的不正義がひとたび除去されれば、そうした巨悪の数々もついには消滅するだろうという観念である」(『万民の法』)

   そして、控え目であることの裏腹で、その視野が狭いようにみえる。

「公共的理性の観念は、根本的な問題にかんする全ての政治的問題に適用されるものではない。そうではなく、公共的な政治的フォーラムと私が呼ぶもののなかで行われる、根本的問題の討議だけに適用されるのである。......多様な形態の非公共的理性も内に含んでいる背景的文化には、公共的理性の観念は適用されないし、またそれは、いかなる種類のメディアにも適用されない」(『公共的理性の観念・再考』)

   果たして、「市民としての人格の政治的構想」のみで、リベラリズムを支えることができるのだろうか。「市民としての人格の政治的構想」とは、あたかも歌舞伎役者がそうであるかのように、市民であることをpretendし、型にはまった行為規範に習熟するかのようなもので、特定の文化的伝統のなかにのみあるものなのではないか。「市民としての人格の政治的構想」は数多ある構想のひとつに過ぎず、いずれ「巨悪の数々もついには消滅するだろう」と想定することの根拠を厳しく問うべきだったのではないか。

   リベラリズムが崩れ去るのに任せるのか、 それとも人間の本性からの基礎づけの作業によりリベラリズムを立て直すのか、我々は分かれ道に立っているのではないか。

経済官庁(課長級) Repugnant Conclusion

【霞ヶ関官僚が読む本】現役の霞ヶ関官僚幹部らが交代で「本や資料をどう読むか」「読書を仕事にどう生かすのか」などを綴るひと味変わった書評コラムです。

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