2020年 11月 30日 (月)

「現場」の問題意識を学問・実務に生かす難しさ

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■『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(著・ブレイディみかこ 新潮社)
■『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう――レフト3.0の政治経済学』(著・ブレイディみかこ、松尾匡、北田暁大 亜紀書房)

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   今年の「本屋大賞ノンフィクション本大賞」、「毎日出版文化賞特別賞」、「八重洲本大賞」「ブクログ大賞エッセイ・ノンフィクション部門」の4つの賞を受賞した注目の1冊が、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』だ。本書は、新潮社の「波」の2018年1月号から2019年4月号に掲載されたのが初出になる。

   11月17日放映のNHKおはよう日本「けさのクローズアップ」で、これまでテレビ出演を一切断ってきた著者のブレイディみかこ氏が、受賞を機に初めてインタビューに応じ、作品に込めた思いを語ったことも注目された。

   このインタビューによれば、「波」での連載にあたり、編集者から「今の現場を書いてください」と言われたことがきっかけで、「もしかしたら今の現場は、自分自身の子どもを育てることというか、育児、息子のことになるかな」と思って書き始めたという。

   著者のとても親しみやすく読みやすい語り口は、まさに「現場」にぴったりだ。評者も引き込まれてあっという間に読了することができた。

子どもが直面する諸問題に目を向けさせてくれた

   子どもは、異なる文化の間、現実と想像の世界の間など、さまざまな境界を自由に行き来する性質を持つという。著者は、母親として得た、元底辺中学校に通う、白人男性との間に生まれた男の子の視点を示しつつ、英国・ブライトンでの日常社会を生き生きと語り、子どもが直面する政治・家族・文化的な諸問題に、我々の目を向けさせてくれた。

   最近の日本の風潮からすると、第4章「スクール・ポリティクス」で、著者が学校のポリシーが、最近は右寄りとみられがちな「プリティッシュ・ヴァリュー」とされていることを学校長に問うシーンが印象的だ。校長は、「僕はイングリッシュで、ブリティシュで、ヨーロピアンです。複数のアイデンティティを持っています。どれか一つということではない・・」と答える。ブレイディ氏は、「どれか1つを選べとか、そのうちのどれを名乗ったかでやたら揉めたりする世の中になってきたのは確かである」と思い、「分断とは、そのどれか一つを他者の身にまとわせ、自分の方が上にいるのだと思えるアイデンティティを選んで身にまとうときに起こるものなのかもしれない」という。

   著者は、英国で当時久方ぶりに保守党から2001年に政権交代をもたらした、トニー・ブレアを首班とする労働党の政策運営にとても批判的だ。このアイデンティティの問題についても、ブレアの言葉「いまや英国人はみなミドルクラスだ」を引いて、「貧困や格差、労働問題といった階級政治の軸がすっかり忘れられてしまった」と非難する。これからの時代は、「アイデンティティよりイデオロギー(階級闘争)」へ、ということだと思う。

著者が指摘・議論すべきだったこと

   このブレイディみかこ氏が著者の1人である『そろそろ左派は<経済>を語ろう レフト3.0の政治経済学』は、2018年5月に出版された話題作である。帯にある「日本のリベラル・左派の躓きの石は『経済』という下部構造の忘却にあった! アイデンティティ政治を超えて、『経済にデモクラシーを』求めよう」という問題認識・問題提起には大いに共感する。

   しかし、著者がこの本で強力に押していた労働党左派のジェレミー・コービンを党首とする労働党は、先日の英国総選挙で、歴史的大敗を喫した。労働党は総選挙で、英国の国民保健サービスNHSの支出拡大や、ブロードバンド網の無料提供などの「バラマキ」を主張したという。

   労働党がはじめて単独で政権をとって、英国における「ゆりかごから墓場まで」といわれた福祉国家をつくりあげるきっかけとなったのが、1945年のアトリー政権であるが、著者たちは、コービン党首の、この原初(1945年)への立ち返りを高く評価していた。

   しかし、そのような福祉国家のコンセンサスの崩壊を象徴する「不満の冬」(1978年から1979年にかけての英国の冬で、インフレーションを防ぐために労働党政権でとられようとした政策に反対した大規模ストライキで社会の大混乱が生じた。墓堀り人夫のストライキが社会に衝撃を与えたことでも有名)について本書では他の著者からもまったく言及がない。その後、1979年にサッチャー保守党政権の政権交代を許し、トニー・ブレアが、ブレイディ氏らから批判されている「第3の道」という斬新な政策をとるまで政権奪回ができなかったこの英国労働党の苦難の歴史をまったく捨象しているのが残念だ。

   また、日本では、団塊の世代を含む高齢者にかかわる社会保障費の増加により、財政が硬直化・悪化しつつあるという現実について全く触れられないのも、ブレイディ氏は、英国在住で、日本経済の専門家ではないことからして仕方ないとしても、他の著者がきちんと指摘して議論すべきだろう。

学問、人間の進歩に期待しているが...

   ケインズ経済学の碩学、故大瀧雅之・東京大学社会科学研究所教授の著作については、このコラムでも何度か紹介してきた。本年6月のコラムでは、生前の最後の日本語の本となった「アカデミックナビ経済学」を紹介した。そこでは、大瀧氏は、政府・日本銀行のマネーの供給(貨幣供給量)が経済の潜在的な生産力をあまりに大きく上回ってしまうと、市民に貨幣をもっていても財・サービスに代えられないのではないかという疑念を生じさせかねず、こうした疑念が生まれ、流布されると、貨幣への厚い信頼がゆらぎ、大変なインフレーションが起きる危険性が高いと懸念していた。そして、「高率のインフレーション」から身を守るためには、社会保障費をはじめとした財政の歳出を抑制すること、人口減少に備え公債(国債)を減らすこと、そのためにはかなりの増税を受け入れなければならないこと、としていた。

   ブレイディ氏も参画した本書での処方箋(赤字国債を発行して財政を拡張し、金融緩和のため、財源の赤字国債は日銀が引き受ける)が、この碩学の指摘と真っ向から対立することを残念に思う。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』でみせる「現場」での鋭い認識が、マクロ(巨視的)にうまく発展するのはなかなか難しいことをあらためて痛感した。この論点は、日本を代表する政治学者の丸山真男が、「車中の時局談義」(1948年)(『戦中と戦後の間』 みすず書房)でも指摘していた我々の課題である。

   評者としては、学問の進歩、人間の進歩にある程度期待をしているが、このような「現場」の問題意識の素晴らしさを学問や実務にきちんと生かし切れないことのもどかしさを令和の時代には少しでも解消できればと思う。

経済官庁 AK

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