2020年 9月 21日 (月)

形に残る仕事 松重豊さんが駅トイレの自作に比べて思う役者の無力

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   サンデー毎日(6月14日号)の「演者戯言(えんじゃのざれごと)」で、松重豊さんが俳優という生業のはかなさを、実感を込めて、しかし図太く書いている。

   一読して、前回(2019年6月19日)引用させてもらった折の驚嘆を新たにした。もちろん本業も素晴らしいのだが、この筆運び、余技の域を超えている。

   「横浜市営地下鉄センター北駅の改札内にある男子トイレの面台は私が設置したものだ」...まず、こう書き出せる芸能人はそういないだろう。読み進めば実話である。

   センター北駅(横浜市都筑区・港北ニュータウン)の開業は1993年の春。松重さんの下積み時代だ。フリーの役者だけでは食えないから、様々な仕事を経験した。かかるトイレの面台は、石工見習いとして親方から一任され、取り付けたものだという。

   面台というのは、小用を足す男性が手荷物などを置く幅20cmほどのスペース。使用者の目の前にあり、筆者によれば「過信するとバッグが放尿時に滑落し、制御不能になった放水口があらゆるものを黄色く濡らすことになるあの台のこと」である。今でもこの駅を通る時には、尿意がなくても自身の「作品」の目視検証を怠らないそうだ。

「石にヒビはないか、目地に剥がれはないか、鞄を置いても汚れないか。多分、形に残る仕事に潜在的な憧れがあるのかもしれない」
  • 30年近くそこにある面台=横浜市営地下鉄のセンター北駅で、冨永写す
    30年近くそこにある面台=横浜市営地下鉄のセンター北駅で、冨永写す
  • 30年近くそこにある面台=横浜市営地下鉄のセンター北駅で、冨永写す

閉鎖や自粛に為す術なし

   なんでまた、ずいぶん前の「形に残る仕事」を思い出したのか。それは新型コロナ禍のさなか、俳優は「虚業」だと改めて意識した結果らしい。

「はっきりとした形を残すわけでもない我々演者という職は、地震やウイルスといった有形無形の脅威の前に無力だ。閉鎖や自粛といった文言の前に為す術を持たない。それはそれで良しとしよう。実体のない生業なのだ」

   彼に言わせれば「台詞は発した瞬間に消えてしまえばいい。ただ単に監督のオッケーが聞きたくてやっているだけだとも思える」仕事である。とはいえ、松重さんが出演するメジャー作品は、DVDなどの形でほぼ永久に、たぶんトイレの面台より長く残る。

   そうしたソフトは、発売時に関係者に送られてくるのが芸能界の慣例だという。

「さてどうしたもんかと毎度悩む。俳優によっては繰り返し見直す方もおられよう。僕は観ないし観るつもりも無い...無意味な反省はしない性質なので」

   松重さんは、たまる一方のディスクを生きている間に処分するつもりという。最近では購入者への特典として、休憩中の俳優たちやNG場面を編集したメイキング映像が付録でつくことがある。だから「円盤たち」は結構な量になるそうだ。

「メイキングカメラのせいで撮影待ち時間も心底寛げない。そんな時は放送禁止用語と業界暴露話を声高に連呼する。彼らは退散するが、つくづく嫌な爺になったもんだと自己嫌悪するのだった」

冨永格(とみなが・ただし)
コラムニスト。1956年、静岡生まれ。朝日新聞で経済部デスク、ブリュッセル支局長、パリ支局長などを歴任、2007年から6年間「天声人語」を担当した。欧州駐在の特別編集委員を経て退職。朝日カルチャーセンター「文章教室」の監修講師を務める。趣味は料理と街歩き、スポーツカーの運転。6速MTのやんちゃロータス乗り。

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