3. 意気投合したアウラジの女

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終点アウラジは山間の寂しい村

   アウラジ。「ぼくも初めて聞いた地名です。韓国固有の言葉なんでしょうが、意味はわかりません。現地で尋ねてみましょう」。元新聞記者の姜先生も知らなかったアウラジは、特急が走る幹線から、脇へひょろっと延びた、盲腸のような行き止まり線の終点で、動力車1両に客車1両がついた鈍行が、1日3往復するだけである。

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   最近、韓国の鉄道ファンに再発見されるところとなり、生活路線というより、なかば観光列車として生き延びていた。乗客は終点のアウラジまで乗ってきて、同じ列車で折り返し帰ってゆく。

姜先生(左)はアウラジの女とあっという間に意気投合。携帯電話の番号を交換してしまった
姜先生(左)はアウラジの女とあっという間に意気投合。携帯電話の番号を交換してしまった

   そんな観光客が帰ってしまったあとのアウラジは、山間の素朴で寂しい村である。駅前の通りにも、ひと気がまったくない。しかし、「タバン」(喫茶店)の看板が、ひとつあがっていた。姜(カン)先生も山口先生も、喫茶店世代とでもいおうか、タバンがあると、入ってみないと気が済まない。店主は李麗仙に似た40歳くらいの女性だった。「ザ・ファースト・インプレッション!」と姜先生が、英語で声をかける。第一印象が気に入ったらしい。

タバンで身の上話を聞く

   ほかに客もいないので、店主はお尻を一振りして先生たちの席に割り込み、人恋しいのか、身の上話を始めた。父親は戦前日本に渡り、戦後故郷の釜山(プサン)に引きあげてきたが、事業に失敗した末死亡、自分は叔父を頼ってこんな山奥までやってきたものの、その叔父も亡くなって、すっかり身寄りを失い、生計のためにタバンを営んでいる……。女性の姓が同じ姜で、しかも釜山出身というのを知って、姜先生、いよいよ気に入る。

アウラジ止まりの鈍行列車
アウラジ止まりの鈍行列車

   そして、「ぼくは、こんど同人誌にアウラジのことを書きますよ」と宣言した。「きっと、『アウラジの女』という題名になるんでしょうね」と筆者が問うと、はははと笑う。同人誌というのは、先生が釜山で1993年以来出版し続けている日本語誌「みどりのかぜ」のことだ。日韓両国から評論や文芸作品の寄稿があり、2006年春には創刊20号を数えた。実は、山口先生も、毎号、自作の詩を寄せている。

   姜先生は新聞社を辞めたあと、日本語学校の教師になった。「文藝春秋」の記事を目で読みながら、同時に韓国語訳できる能力は、語学学校の経営者をびっくりさせ、初めはソウルで、のちに釜山に移って、計10年間教壇に立った。日本の大学へ入学できる最難関の検定1級に合格した教え子が30人以上。合格率も93%と驚異的だった。「みどりのかぜ」はそんな生徒たちが参加して発刊された。

姜先生の日本人観を変えた岡田陽一氏

   ひとりの日本人との出会いが、この同人誌の骨格を強靭なものにしている。創刊直前の1993年5月11日火曜日。訪日中の姜先生は、帰国を翌日に控え、以前からほしかった日本語の辞書を買いに、東京・神田の三省堂にやってきた。が、定休日。途方に暮れる先生に声をかけたのが、たまたま居合わせた白髪の中年男性で、事情を聞いて、年中無休の小さな辞書専門店へ案内してくれた。

韓国風のり巻き弁当は3,000ウォン
韓国風のり巻き弁当は3,000ウォン

   2人の間で、「ソウル大学の入試科目から、日本語が除外されたのはなぜですか?」「東京大学の入試で、先年韓国語が排除されたのと全く同様なケースとみていいでしょう」といった応酬があった。姜先生はその後、同人誌に、「今までのぼくの脳裏に居残っていた日本人に対する印象が、少しずつ崩れてゆくのを感じた。……紳士、英国の本来のジェントルマンを思わしめるのだった」と、初対面の印象を記している。

   姜先生は、その中年男性の名刺を何度も手に取って眺めた末、思い切って手紙を出した。返事が来て、「わたしはあなたの乗ったタクシーが遠く消え去って見えなくなるまで、立ちすくんでいたのです」とあった。この人物が、民俗・歴史学者の岡田陽一氏で、いまは「みどりのかぜ」の日本側の代表者になっている。山口先生は、その友人の友人に当たる。

   ところで、アウラジの意味だが、ここは男川と女川というふたつの流れが合流する場所で、それをアウラジと呼ぶと説明された。筏(いかだ)を組んで下流に木材を運ぶ男が遭難し、その帰りを待つ女との悲恋の物語もあるようだ。しかし、アウラジという言葉を意味はついによくわからなかった。まあ、わからないほうがいいのかもしれない。アウラジを取り巻く山々が急に雲に隠れ、しぐれがやってきた。(つづく・・・第3回「江陵の海」

交通:安東→堤川→甑山→アウラジ(鉄道)
朝食:ビビンパ(まぜご飯)
昼食:巻きずしの駅弁


   (参考)韓国の鉄道と高速バス

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