王監督に若い人がついていった訳

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   プロ野球ソフトバンクの王貞治監督が、10月7日の楽天戦を最後にユニフォームを脱いだ。実に半世紀に及ぶ野球生活は、波乱に満ちていた。支えたのは「野球への情熱だった」とだれもがいう。畠山智之キャスターが、沢山の証言をもとに、名将の軌跡と魅力を追った。

   選手としての名声。長嶋茂雄とならんだ「ON」は日本のプロ野球の看板だった。一本足打法でホームランを量産、756号でハンク・アーロンを抜き、第1回国民栄誉賞。MVP9回。生涯868本はダントツの世界一だ。

「オレは勝ちたい、という思い」

   しかし、名選手かならずしも名監督ならず。1984年から5年間務めた巨人では、遂に日本一になれず。95年に就任したダイエー・ホークスでも、Bクラスに低迷して、怒ったファンがバスに卵を投げつける事件まで起きた。

   王監督と同じ年に入団した工藤公康は、「意識のカベがあった。近寄りづらかった」という。が、監督は変わっていった。「オレは勝ちたい、という思いが選手に伝わっていった」。そして5年目に初の日本一。通算14年、球団名がソフトバンクに変わったが、この間リーグ優勝3回、日本一2回に輝く。一昨年(2006年)のWBCで日本を初代の世界一にした。

   巨人時代抑えの切り札だった鹿取義隆は、WBCでコーチとして18年ぶりに接したとき、「カベがなくなっていたので驚いた」という。「巨人では抑えに抑えていたんだなと」

   王監督自身は辞任会見で、「(巨人時代は)24時間衆人環視のなかで、窮屈だった」といった。常勝を求められる巨人ゆえのプレッシャーだろう。同じ会見で、「監督は先頭に立って戦うのが仕事。参謀本部じゃなくて突撃隊長」といい、事実それをホークスでは貫いてきた。

   最終戦に駆けつけた城島健司(現マリナーズ)は、「優勝するんだというあの情熱は、5年間変わらなかったですから」という。また「ユニフォームのかっこよさ。少年のような目、あの輝き。ボクが球をはじいて見失ったりすると、誰よりも監督の声が飛んできますからね」。

   王監督は、「50年ひとつの道にどっぷりと浸かって、心をときめかして68歳になってもこうしていられるというのは、本当に幸せだった」と静かに語った。この生き方に共鳴する人、思いを寄せる人は多い。

「世界記録。彼はそれをひけらかさない」

   王大好き少年だったという齋藤孝・明治大学教授は、「まずは一本足打法。監督としては、情熱、それに言葉」という。とくに選手とのコミュニケーションの仕方に多くのものを見た。その例として、辞任会見でいった「ときめき」をあげた。「50年経った今もまだもっている、その新鮮さに選手達が惹かれていった」「今の若い人は、偉い人よりも自分たちと一緒に熱くなってくれる人を求めている」と。

   マンガ「あぶさん(ホークスの強打者)」で、王監督を登場させている水島新司は、監督とラーメンを食べたとき、3口半で食べるのに驚いた。すると、「ボクはラーメン屋のせがれですよ」。

   「これでマンガの台詞がくだけてきた。それが王貞治。だから、王さんが辞めるときは、あぶさんもやめると決めてた。王さんはダメというでしょうけど」

   「菊とバット」などの作家、ロバート・ホワイティングは、昨年バリー・ボンズが756号の大リーグ記録を作ったとき、「本当の世界記録は王だ。しかし彼はそれをひけらかさない」と書いた。「王さんは、たまたま日本で沢山打った。それが世界記録かどうか語るつもりもないという。この謙虚さに日本人は魅せられる。良識、倫理観の指針のような」という。

   斎藤教授も、「絶対的な安心感。お父さんみたいな。それと絶対に折れない心を読んでほしい。普通は選手を応援するが、彼は日本を応援していた」といった。

   そう、この人は現役時代からいつも控えめで、地味で、優等生。要するに、長嶋、野村克也、星野仙一みたいに、マンガになる人ではなかった。最終戦は、その野村監督との対戦だった。負けた方が最下位になる。2人並んで「負けたくないね」と笑っていたのが、心に残る。

ヤンヤン

   *NHKクローズアップ現代(2008年10月8日放送)

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