オリエント急行殺人事件 もう起こらない

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<テレビウォッチ> 日本なら熱心な鉄道ファンが詰めかけてごった返すことだろう。オリエント急行のラストランを見送る夜のフランス・ストラスブールの駅は静かだ。若い男女がキスを交わしている。やがて出発した国際寝台列車に番組スタッフが同乗し、何組かの乗客から話を聞く。

   ワインを酌み交わすイギリスと日本の青年、44年前、新婚旅行でイスタンブールを訪れた老夫婦、オーストリアからパリへ単身赴任し150回以上もオリエント急行に乗ったというビジネスマンは、この夜、息子を誘った……

帝国主義的野心が背景

   番組は1883年の運行開始から現在に至るその歴史を振り返る――フランス共和国・パリ―ドイツ帝国・ミュンヘン―オーストリア・ハンガリー帝国・ウィーン―オスマン帝国・イスタンブールまで3000キロの鉄路、81時間余の道のり。鉄道史の専門家は、「オリエント急行の創業にはヨーロッパ列強の帝国主義的野心が背景にあった。没落し始めたオスマン帝国の領地、財産に大きな関心を抱き、政治的、経済的思惑があった」と話す。

   食堂車、寝台車を備えた豪華な列車は『走るホテル』と呼ばれ、往復の運賃は160ポンド、高級住宅1年分の家賃に匹敵した。各国の王侯貴族、富裕層がよく乗り、憧れの存在となった。一躍、列車の名を高めた映画「オリエント急行殺人事件」は、乗客だったアガサ・クリスティの原作。いくつかのシーンが流れる。

   2度にわたる世界大戦の際には運休を余儀なくされるが、第1次大戦では、敗戦国ドイツが食堂車で休戦協定に署名させられた。若いころオリエント急行に乗った経験を持ち、関連書の翻訳もしているというスタジオゲストの玉村豊男(エッセイスト)によると、根に持ったヒトラーが、第2次世界大戦では逆にフランスに食堂車で署名させ屈服させたそうだ。独裁者が、ヨーロッパを代表する列車を使ってドイツの力を誇示したともいわれる。

歴史の舞台に

   冷戦時には東欧諸国が長時間の検問を行ったらしい。専門家は「何度も停車を命じられ嫌がらせを受けた。社会主義国にとってオリエント急行は敵対する資本主義国の象徴だったからだ」と語る。「歴史の舞台となってきた」(国谷裕子キャスター)わけである。

   戦争、冷戦を経て、その役目を航空機や高速鉄道にとって代わられ、富裕層の需要も激減、もっぱら東欧からの出稼ぎ、移住用に利用され、大衆列車と化したようだ。

   最後のオリエント急行は12月13日朝6時40分、ウィーン西駅にすべり込む。ここも静かだ。話してくれた客たちが手を振って去って行く。126年の歴史に幕を下ろした。

   いつも感じることだが、吹き替えがあまりにも思い入れたっぷりで聞いている方が気恥ずかしくなる。抑制気味にしてほしい。

アレマ

   *NHKクローズアップ現代(2009年12月17日放送)

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