福島・浪江町77日目の供養…合わせる手は3重のゴム手袋

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   これまで東京電力・福島第一原子力発電所事故で立ち入り禁止区域となっていた福島県・浪江町で昨日(2011年5月26日)、住民たちの一時帰宅が許され、犠牲者の供養が行われた。

   一時帰宅した住民は全員が白い防護服を着用。祭壇に手を合わせる人たちの映像に、司会のみのもんたは「皆さん、手を合わせている人の手を見て下さい。ゴム製の手袋を三重に重ねているそうです。ここまでしなければ自宅にも近づけない。そして、もう故郷には戻れないかもしれない。いったいどんな気持ちで浪江町の皆さんは避難生活を続けているのでしょうか」と目を潤ませた。

「私たちは放射能にさらされ続けた」(馬場町長)

   浪江町の馬場有町長が電話インタビューに出た。

手を見て下さい
「震災から77日目にして、やっと供養ができました。感無量、胸にジーンときました」

   みの「町長は震災以来、ひげを剃っていないと聞いていますが」町長「こんなにひげを伸ばしたのは生まれて初めてのこと。すべてが落ちついたら、ゆっくりひげを剃ります」

   笑って話したが、次の町長の話にみのは絶句した。

「実は、3月12日の時点で浪江町にかなりの放射能汚染が始まっていることを東電は分かっていました。でも、私たちには何の連絡もなかった。私たちは避難指示が出るまでの4日間、放射能にさらされていたんです」

   コメンテーターの吉川美代子(TBS解説委員)は「原子力安全委員会の先生たちは何をしていたのでしょう」と国や東電の初動対応の遅れを批判した。自分たちが推し進めてきた原発政策の破綻を取り繕うのに頭がいっぱいで、そこに人間が住んでいることなど、思いも及ばなかったのだろう。

文   ナオジン | 似顔絵 池田マコト
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