被災者の言葉拾って歩く南相馬の詩人―「説明せよ 時よ罪よ」

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   福島・南相馬の詩人・和合亮一さんは言葉を探し歩いている。写真を撮り、被災者と会い、言葉を掘り起こし、詩を書き、朗読をする。朗読を聞く被災者の間に共感が静かに広がる。

「言葉を記録し残すことで、時間を刻みたいのです」

   自らも被災し、考えが閉ざされるのを感じた。言葉が出ない。しかし、詩を書くことで気が楽になった。5日目からツイッターで詩を発信し始めた。 カメラを手に、沿岸部のがれきの中を歩いた。変わり果てた町の姿にシャッターを切ると言葉が湧く。

「そこで生活していた人たちの笑いや言葉や、流された人たちの叫びが聞こえてくるような気がした」

   いま写真は1000枚に近い。食器、枕、片方だけの靴。全てが生活の痕跡だ。

「宅配便の箱。あたりにはカレイや海苔や…。この箱は、永久に届かない」

   自宅近くの電光掲示板に衝撃を受けた。暗闇の中に「原発20キロ圏立ち入り禁止」とあった。これも詩になる。

「故郷に一歩でも踏み出せば 処罰とは どういうことなのか 説明せよ 時よ 罪よ」

生活していた人たちの笑いや言葉、流された人たちの叫び

   放射能に追われた人たちを訪ね歩く。ここではICレコーダーを使う。雰囲気も記録できる。役場職員、商店の人、教え子。

「爆発のあと、終わったなと思った」
「患者を捨てて逃げなさいと病院がいってると、おふくろが泣きながら」

   クリーニング店経営の女性は、避難先から様子を見に戻ったときの衝撃を「恐ろしかった。真っ暗で、街灯だけがついていて、違うものが住んでるような」と語る。この言葉が詩になる。

「深夜 あなたは愕然とした暗い街 真っ暗な通り この街には違うものが住んでいると 生まれ育った街が違う表情をする」

   高校教師の佐藤宏志さんを和合さんが訪ねたのは5月半ばだった。佐藤さんは自宅に閉じこもって、おびえながら生活していた。「安全な場所、浜通りのどこにある。なんでこの時代にオレが生きてるんだ」と不安と怒りを話した。やがて別の学校で授業が再開した。その様を和合さんが言葉にした。

「生きること 学ぶこと 学び舎こそは心の砦 ここから始まる 窓を開けよう」

   佐藤さんは「勇気づけられた。そうなんだよなと」と話す。和合さんは「私たち自身の言葉を取り戻さないと。地に足をつけて歩くのは言葉なんだと確信した」という。

佐野眞一「傷口が広がっているときは心も開いている」

   ノンフィクション作家の佐野眞一さんは和合さんの活動に「共感します」という。震災1週間後に陸前高田に行った。真っ暗な廃墟に満月が出ていた。「死んだ人たちが最後に見た風景を生きながら見ている。何とか言葉にしないといけないと思った」と話す。

   原発近くの牧場では牛が飢えて死んでいた。牧場主に「東電に言うことはないか」と聞いた。答えは「ない。悲しそうな牛の目を見てくれ。それだけ」だった。

   ゴーストタウンで点滅し続ける信号機の不気味。この電気は東北電力の電気だ。なのに原発の電気は東京へ送られる。佐野さんは言う。

「福島は悲しいなという共感と想像力がそこなわれたら…。日本人全体が問われている。残酷に聞こえるかもしれないが、傷口が広がっているときは、人の心も開いている。そこへ言葉を発すれば、体験が共有できると信じている」

   そうなのだろう。だからこそ、和合さんの紡いだ言葉は被災者に吸い込まれていく。出口の見えない不安の中で、表現者にいま求められているものは、自身が思うよりもさらに深く重いのかもしれない。

ヤンヤン

NHKクローズアップ現代(2011年8月1日放送「福島を生きる 詩に刻む被災地の言葉」)
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