テノール歌手・新垣勉 アメリカに帰った父を許し選んだ1曲

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   ♪ざわわ ざわわ ざわわ 広いさとうきび畑は

「さとうきび畑のザワー ザワーという音が伝わってくる。素晴らしい声」

   作家の吉永みち子がこう絶賛する沖縄出身の全盲のテノール歌手・新垣勉(58)が、終戦記念日の今週月曜日(2011年8月15日)、正午に合わせて平和を訴える歌3曲を自宅からインターネットで世界へ向け生中継して話題を呼んだ。「今週の人物大辞典」コーナーで新垣を取り上げた。

「恨んだこともある。どこかで聴いていてもらえたら…」

   インターネットで伝えたいという新垣の願いとは、「平和とひとくくりしてしまえばそうでしょうけど、命の大切さとか、人と人との愛だとか、許すだとか、思いやりだとかを伝えたかった」

悲しみの中の温かさ

   そこにはもう一つ、隠れた願いもあった

「一時は恨んだこともある父に、どこかで聴いていてもらえたら…」

   アメリカの統治下の沖縄で、1952年11月6日に米軍人の父と日本人の母との間に生まれた。生後間もなく、助産婦に誤って家畜を洗う薬を点眼され両目の視力を失った。1歳の時、さらに不幸が。両親が離婚し、父はアメリカへ、母は幼い子どもを置いて再婚してしまう。祖母のもとで育てられたが、その祖母も他界し天涯孤独の孤児になった。14歳の時だった。

「目が見えないアメリカ人だとかいじめられたことがあった。なぜこういう不幸ななかで自分は生きているのだろうかと、いつも死を考えていた」

   ある時、街でラジオから流れてきた賛美歌に心を奪われた。「歌いたい、聴きたい」とそのまま教会を訪れたという。その教会の牧師が身寄りのない新垣を引き取り、家族の一員として一緒に暮らすことになる。

   25歳のときに牧師を目指し西南学院大神学部に入学。好きな歌の勉強にも取り組んだ。そんなとき、先生から「この声は神様からのプレゼント」という思わぬ言葉を聞かされた。そこで一念発起。34歳で武蔵野音大に入学し、48歳でCDデビューした。

大船渡の被災者には「青い海よ」

   新垣が終戦記念日に合わせ、父への思いを込めて選んだ1曲が、沖縄戦の様子を歌った「緑陰~こかげ~」。父を許し、気になった新垣はこういう。

「素晴らしい人格の人は(恨みを)ポンと許しに変えて、ポンと受け入れるのでしょうが、私のような凡人は乗り越えるのに時間がかかった」

   吉永「すごく悲しみが伝わってくるのだけれど、同時に悲しみを乗り越えた強さ、歌声が持っている温かさも伝わってくる。それは生き抜いてきたからでしょうね」

   新垣は6月11日に岩手県大船渡市を訪れ、被災地の人たちに「青い海よ」という歌を捧げた。悲しみのドン底にある被災地の人たちの心に、力強く、やさしく響き、いつかは乗り越えてくれるだろう。そんな願いを感じさせる番組だった。

文   モンブラン | 似顔絵 池田マコト
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