騒がしい女は暮らしぶりも雑で乱暴…いえ、私のことです
「カッタカタ、パッタパタ」
靴音を響き渡らせて歩き、ドアを勢いよく閉める「バタン」。今日もつっかれた~とカバンを「ドサッ」と床に落とし、「ガタン」と椅子を引いて大きな重いお尻を「ドッ」と下ろす。机の上に資料を「バサッ」と広げてさぁ仕事。そしてキーボードを「カチッ」ではなく「バチッ」と叩きつけるように打つ。よく見ると、私の愛用パソコンのキーボードには、ななめに溝がついたような爪の跡がついている。
いかに自分の生活が乱暴だったのか。「ってか、スゲーヤバイよね」「ケツのコメント、よくわかんなくね?」「それマズいっすよね~。かなりヤラかした系ですか」。社会人何年目かもすら忘れてきた32歳。なんとまぁ、乱暴な言葉遣い。
「提出が大幅に遅れたけど、たぶんなんとかなるんじゃないか」「ダブルブッキングだけど、どうしよう」「綱渡りでなんとか1か月乗り切った!」「ナレーションはこの言い回しで正しいんだっけか、まあイイヤ」
あらあら、ここまでくればもう笑うしかない。考え方そのものが乱暴すぎる。よくこんな乱暴なやり方で仕事してきたものだ。わかっちゃいるけど、ついついやってしまう。あぁ、ゴメナンサイ。私ダメ人間です。
細やかな神経で日常生活綴ったあるエッセイ
いかに自分の生活態度が乱暴で考え方が雑だったか。日常生活をことこまかに描いたあるエッセイを読んで反省した。日常生活のにおい、音、空気の流れ。鍋を片付けるときの感覚。口の中に広がる味と歯で噛み切った時の音。まるで生き物のように表情を持つ家具や道具。そこから聞こえてくるのは、「ドサ」とか「やばくね?」みたいな言葉ではない。「ま、いっか」とは思わず、丁寧に丁寧に日常を過ごしている人の姿が見えてくる。
そうして紡ぎだされた言葉から、読み手は一緒に食卓を囲んでいるような、台所に立つ母親の後ろ姿をこっそり一緒に見ているような、ほかほかと湯気の上がる皿の真上に顔を向けて「潤いチャージ中~!」とかやってみたくなるような気分になってくる。あるあると共感しながらも、エッセイの中の暮らしに引き込まれる。よくこれほど細かく描写できるなぁ、フルに使った鋭い五感の感覚を覚えていられるなぁと感心する。
そんな素敵なエッセイを読み進めるうちに少し怖くなってきた。自分の周りでどんな音がしていたか覚えている? どんな感触だったのか、ニオイはどうだった? あれこれ考えても思い出せない。共感していたくせに、実はそれがあいまいで、自分の記憶のようで他者に刷りこまれたような記憶だということに気が付いた。