2024年 4月 26日 (金)

全身落語家・立川談志…夜中にふと気配を感じたら12時間前に亡くなっていた

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戒名は「立川雲黒斎家元勝手居士(たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)」

「談志が死んだ(だんしがしんだ)」

   これは11月21日(2011年)に亡くなった立川談志さんが落語のまくらでよく使っていた、どちらから読んでも同じ回文である。戒名は談志さん自らが決めていた「立川雲黒斎家元勝手居士(たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)」。

   私が知らせを受けたのは22日の火曜日だったが、その日のブログ元木昌彦の「編集者の学校」にこう書いたので、少し長いが引用させていただく。(注・公開したのは知らせてもらった人との約束もあり、23日の夜である)

「立川談志さんが亡くなってしまった。月曜日の午後だという。残念だ。
   月曜日は日刊サイゾーの原稿を書き終わってから、ずっとYoutubeで談志さんの落語を聞いていた。夜寝るときもiPadで聞きながら寝た。
   2時半頃、トイレに起きたとき談志さんのことが気になった。もし何かあっても私のようなところまでは来てくれはしないよな、そうふと思って周囲を見回した。
   その12時間ぐらい前に亡くなっていたのだ。
   ずいぶんよくしてもらった。一昨年の暮れに上野の鰻屋で『立川談志を聴く会』を嵐山光三郎さんと開いた。
   そのときは体調が悪くて、トイレに行くにも障子を伝って歩くほどで、にわかごしらえの高座に上がるのも弟子の力を借りてやっとだった。
   声の出ないながら、2時間近くもしゃべってくれたが、内心では、これが最後の高座になるかもしれないと思った。
   だが、あれだけ嫌っていた入院だったが、ご本人自ら入院してビールとハルシオンを一緒に飲むことをやめ、春にはかなり体調が戻ってきた。以来ビールは飲んでいなかったと思う。
   それからは弟子の高座に出たり、ラジオに出たりとポツポツではあるが仕事もこなしていた。そうして昨年暮れの読売ホールでの出来事が起こるのだ。観客だけではなく、談春ら弟子たちも感激して感極まったという歴史的な『芝浜』を一席丸ごと演じたのだ。
   私は残念だが見ることはできなかったが、それほどまでに体力、気力が戻ってきたのかと喜んだものだった。
   だが、今年の東日本大震災以降、再び体調を崩し、家に戻ったが声が出なくなり、痰がしょっちゅう出るために家族の人たちは24時間態勢で痰をとってあげていた。
   それでも私が仲介して始まった『週刊現代』の連載「立川談志の時事放談」の原稿は休むことはなかった。
   だが、先月だろうか容体が急変して病院へ入ったが、それ以来意識は戻らなかったようだ。
   まだ75歳。古典落語を愛し、落語家として生きた全身落語家・立川談志さんの早すぎる死は悲しい、悔しい。
   談志師匠の了解はもらっていたのに、古今亭志ん朝さんの体調が悪くて実現できなかった「談志・志ん朝二人会」を、向こうでやりましょうね! 師匠。
   談志さんに書いてもらったわが家の表札が宝物になった。
   夜、中野の「第二力酒造」で談志さんの「万金丹」を聞きながら酒を飲んで、ひとり弔いをする。つくづく惜しい人を亡くしてしまった」

読売新聞記者が気にする「同僚はナベツネどう思っているのか」

   ところで、オーストラリアの新聞社で働いている知人からメールが来て、読売新聞社の中にある本屋へ「週刊現代」を買いに行ったのだが、売り切れていたという。「週刊ポスト」を買って仕方なくコンビニまで行って手に入れたそうだ。

   今週の両誌では、ポストの「巨魁・渡辺恒雄への『引退勧告』」をはじめ、上杉隆の「『会長兼主筆』という大矛盾」、佐野眞一の「正力、務台、渡辺『読売天皇三代記』」をおもしろく読んだが、現代の記事に興味をひくものはなかったのだが。

   もう1度手にとって表紙を見てみる。左端に「『読売王国』クーデター全内幕」とあり、その中に「何が怖いの? 読売新聞記者たちに聞いてみた」とある。なるほど自分のところの同僚記者がナベツネのことを何といっているのか「心配」で買いにきたのではないだろうか。

   内容はさしたることはない。ナベツネが「オレは最後の独裁者」だと公言しているとか、記憶力も判断力も衰えてきてはいるが、社内では「陰口でさえ、怖くて言えない」といった他愛のない話である。「読売新聞記者に聞く」も、現役社員からは「表立って清武さんを応援する記者はいません」「若手には『ナベツネ批判』のような意見はないですよ。むしろ清武さんの行動の真意をいぶかる声が圧倒的」「会長に対する求心力の低下とか、社内の動揺もまったくないですよ」という声ばかり。

   ノンフィクション・ライターの魚住昭が現代の連載「ジャーナリストの目」で、読売新聞の社主・正力松太郎が新聞を私物化していることを批判して読売を辞めた社会部記者・本田靖春に触れて、今回の清武騒動を書いている。生前、本田は読売についてこう話していた。

「正力さんは天才事業家だけど、新聞をチラシ広告と同じぐらいにしか考えていなかった。務台さんも『販売の神様』であってジャーナリストじゃない。渡辺さんもジャーナリストというより政界の人ですよね。だから読売でジャーナリストであろうとすると必ず上とぶつかることになる」

   同じ社会部の敏腕記者だった清武には、「前途は多難だろうが、初心を貫いて独裁体制に風穴を開けてほしい。本田さんも天国からエールを送っているはずだから」と激励している。

   読売の記者たちは、こっちをこそ読むべきである。

楽天・岩隈「球界一の愛妻家」が付き合っていた「3年愛人」

   今週の週刊誌最大の話題はポストの「楽天・岩隈『3年愛人』と愛欲の5泊6日」である。FA宣言した楽天・岩隈と若い愛人とのツーショット写真が見事だ。グラビア巻頭の愛人が岩隈にしなだれかかり、ねだるように口を近づけている写真といい、クルマの中で迫力満点のディープキスを交わしている写真といい、フライデー真っ青である。

   この写真は岩隈がオフの調整のために、千葉・幕張のホテルに滞在しながら病院に通っている時期に撮られたもので、本文には事細かに2人の経緯が書かれている。この愛人は背も170センチ近くあり、190センチの岩隈と並んでも遜色ない。2人は仲良く飲食したり、愛車の中でキスしたり、深夜の都内のゴルフ練習場でタマを打ったり、初心者らしい彼女にゴルフの手ほどきをしたり、量販店で海外旅行用の大型旅行用スーツケースを購入したりと誠に仲むつまじい。

   その後、岩隈はいったん夫人と子どものいる仙台に戻るが、すぐに東京へ戻り、今度は成田空港からトレーニング地のアリゾナへ旅立って行く。球団関係者談によると、2人が知り合ったのは3年ほど前、千葉マリンとの試合に遠征したときだという。

   このスキャンダルの影響は野球界だけに留まらない。なぜなら、岩隈は日本を代表するピッチャーというだけでなく、球界一の愛妻家としても知られているからだ。今年2月の沖縄・久米島キャンプにも、岩隈の義理の父が二軍打撃コーチをしているにもかかわらず、彼女を連れて来ていたというから、単なる火遊びではないようである。

   岩隈は2006年に「ベストファーザーin東北」にも選ばれていて、夫婦でトークショーに出たときも「(妻のことが)好きなんです」と真顔で話していたほどである。2人は創価学会の熱心な信者でもあり、学会の中でも「目指すべき夫婦像」、つまり夫婦の理想像とされているのだ。

   さあ、夫婦の最大の危機について糟糠の妻がどう答えるのか。ポストがインタビューすると、最初は「それは私の義理の妹ですよ」と、本当にそう思い込んでいたようで動揺は見られなかった。だが、ポストが岩隈と彼女が車の座席に座っている写真を見せると、表情が凍りついたそうだ。岩隈が彼女とホテルに連泊しているがと聞くと、「家族が円満なら、旦那は何をしてもいいという主義なんです」と答えているが、それは懸命に夫の行為が大事にならないように「賢妻の配慮」を見せていただけのようだ。

   岩隈のほうは代理人の弁護士から回答拒否という書面が届いた。愛人の携帯電話にかけてみると、何と海外ローミングに変わっていたというのだ。彼女は岩隈と海外でも一緒にいるのか?

   岩隈は夫・父親としてもFA宣言するかどうかの決断を迫られていると、ポストは結んでいる。この世に不倫は数知れずあるが、これほど「これから大変だろうな」と思わせる不倫も珍しい。

   フライデーが島田紳助が念願だった寿司屋「はせ川」を開店したとき、その店に置いてあったパンフレットに紳助直筆で書いた「人生の心得」を掲載している。これがすこぶるおもしろい。

「世の中の人全てを愛する必要はない 自分を愛してくれる人 信用してくれる人を愛せばいい」「他人の為 家族の為に働くのではない 自分が幸せに成る為努力し働くのです」「一年努力しても一瞬の手抜きでチャラになる 人生は耐久レース」

   いま読んでみると味のある心得である。

文科省「放射線量低く見せろ」要求応じず解約になったオンライン線量計

   ここで週刊誌の話題から外れることをお許し頂きたい。これを読んでいただいている読者の中には、11月19日(土曜日)の朝刊で以下のような記事を目にした方もいるのではないだろうか。

「文部科学省は18日、福島県内の学校や公園で放射線量を計測する『オンライン線量計』を発注した業者との契約を解除したと発表した。測定精度が低く、結果の送信ができないなどのトラブルで納期が守られなかったためと説明している」(朝日新聞より)

   東京新聞などは1面トップだった。この業者というのは東京都中野区にある「アルファ通信」(豊田勝則社長)で、社長は私もよく知っている。

   簡単に経緯を書くと、福島の学校などに600台の線量計を設置する工事を「アルファ通信」が落札し、工事を始めたのが9月からだった。線量計を入れるカプセルの仕様が突然変更されたり、台風などもあったことで10月中旬の納期は双方了解して11月に延期した。次の納期は11月14日。600台のうち480台までは設置が完了したが、100台と少しが残ったのは事実である。文科省の契約解除の理由は納期遅れだけである。

   しかし、文科省は会見で、記事にもあるように「測定精度が低く」てと計数管にあたかも欠陥があったように話しているが、これは事実とは異なる。いちばん文科省が問題にしたのは、「アルファ通信」の使用している計数管がアメリカ製であることだった。これはアメリで校正(検定のようなもの)をした国際標準の計数管である。

   文科省がモニタリングポストなどで使っているのは、国内の日立系の会社の製品である。いまでは知られるようになってきたが、文科省が発表している放射線量は、モニタリングポストを高いところに据えたりして、市町村が発表している数値より低い。

   子どもの背丈のところを測らないのでは意味がないという批判が巻き起こり、今回は地上50センチに設置することになった。しかし数値がモニタリングポストより高く出ることに怯えた文科省は、「アルファ通信」の線量計の数値が低く出るよう仕様変更することを強硬に要求してきたのである。

   聞くところ、期限ギリギリになっても「アルファ通信」の技術者を丸一日缶詰にして、アメリカ標準ではなくここは日本なのだから日本標準にせよとの一点張りで、聞く耳を持たず。その結果、設置の仕事にも影響が出てしまったというのだ。

   このことが指し示している最大の問題点は、文科省が発表している放射能の線量は人為的に操作され、低く出るようにせよとメーカー側に要求し、それを飲まなければ切るという理不尽とも思えるやり方をしていることである。「アルファ通信」側はこうした問題を含めて、記者会見を開く意向である。また、こうした官僚たちのいい分を、少しも検証することなく垂れ流す新聞にも猛省を促すつもりである。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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