元寇の巨大軍船「長崎沖で発見」引き上げ・保存に難問

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   この10月、日本の考古学の歴史に残る大発見があった。長崎・鷹島沖の深さ23メートルの海中で、730年前の鎌倉時代度に襲来した「元寇」の軍船が、原型をうかがわせる状態で見つかったのだ。

   スタジオにコンピューターグラフィックスで海底を作り、キール(竜骨)とみられる幅50センチ、長さ12メートルの木材、周囲の外板などをもとに軍船を再現してみると、いや大きい。森本健成キャスターが船底にへばりついている風である。

当時の戦や暮らしぶり知る一級資料

   教科書でおなじみの「元寇の役」では、10万の兵と4400隻の軍船が攻めて来た。しかし、2度とも台風の「神風」が吹いて、船はほとんど海の藻くずとなった。これまで鷹島近海で見つかるのは火薬を詰めた石の砲弾(てつはう)、モンゴル文字の印鑑、木片、イカリなど断片ばかりで、「蒙古襲来絵詞」には馬に乗った鎌倉武士が弓を射る3人のモンゴル兵士と戦うさまや炸裂する砲弾などが描かれているが、どこまで真実なのかはわからない。後の時代に描かれたともいわれる。

   今回の発見は琉球大の池田栄史教授のチームの6年越しの探索の結果だった。難物は海底に積もった泥だった。海底に触れると舞い上がって10センチ先も見えなくなる。発掘は手探りだった。池田教授は海底資源探査の専門家である東海大の根元謙次教授に協力を求めた。音波探査である。根元教授は最新鋭の探査機を使って鷹島周辺と伊万里湾内の120平方キロを探査し、海底1メートル付近に強い反応がある11か所を選び出した。

   池田教授は09年10月からもっとも反応の強 かった地点の調査を開始した。鷹島の南岸200メートル、水深23メートルである。だが、何も出てこない。翌10年、 根元教授が位置を確認すると、反応点から5メートルずれていることがわかり、再探査すると多少の木片が見つかった。

   そして今年、範囲を少し広げて探査を始め、潮の加減で視界がいい2週間目に、キールが見つかった。

「あった。船だぜ」

   南側に外板、反対側に短く切りそろえられた木材、さらにレンガ、硯や武器も見つかった。

木の劣化、塩抜き、乾燥どうするか

   元寇船を追って30年以上になる水中考古学者の荒木伸介さんは、かつて木製のイカリ3つを見つけている。いずれも同じ南を向いていて、3隻が停泊中に強い南風にあおられ、イカリが千切れた状態とみた。少なくとも「神風」は推測できたのだった。

   それが今度は船が丸ごとだ。何人もの学者、研究者が海底の映像からさまざまに思いをめぐらす。たとえば、レンガはしっくいがついているので、煮炊きのかまどだったか。南宋の磚(せん)というものに似ている。元が支配下に置いた南宋人が加わっていたのか。遊牧のモンゴル人に船の建造や操船は無理だ。切りそろえられた板は奴隷を運ぶ「寝棚」ではないか。南宋人を兵士として使っていた可能性がある。全てがモンゴルの精鋭部隊ではなかったとなると、元寇の役のイメージも変わる。

   たった1隻分だけでもこれだけの読みができる。荒木さんは「船には生活文化全体が凝縮されている。1隻に200人 から乗っていたんですから。他のところでも見つかったら大変なことになる」という。

   ただ、課題がひとつある。水からの引き上げだ。そのままだと木はたちまち劣化してしまう。どうやって塩を抜き、乾燥させ、保存するか。手間と金と場所が必要で、韓国ではそのための国立研究所を作ったという。

   元寇は日本が一方的に攻められたたった1度の例だ。しかも敵は全滅している。目的や規模、技術のレベルなど、知りたいことはいっぱいだ。その謎解きに国もひとつ乗って欲しい。日本中が成果を待っている。

ヤンヤン

NHKクローズアップ現代(2011年12月9日放送「海底で発見!幻の軍船~730年前 元寇の謎~」)

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